【144000人の奥義】(13)《賢明な者たちは、、多くの者を義に導いた者は、》「ダニエル書12章の解説 ④」

今回は、ダニエル書12章3節をまず考えましょう。

 

新改訳2017

 

「《賢明な者たち》は大空の輝きのように輝き、

 

《多くの者を義に導いた者》は、

世々限りなく、星のようになる。

 

まず、この部分を考えましょう。

 

最初に、ここで言われている

「賢明な者たち」

 

そして、

 

「多くの者を義に導いた者」

です。

誰のことを述べているのでしょうか?

これらは一見、同じ人々のようにも思えるかも知れません。

なぜなら、同じダニエル書11章では、そうともとれる訳し方がされているからです。

しかし、原語から解釈するならば、この最終の12章で敢えて、分けて、記されているのには意味がある、ということをまずはおさえておいて下さればと思います。

 

では、

口語訳では何と訳されているのでしょうか。

 

「《賢い者》は、大空の輝きのように輝き、

 

《また多くの人を義に導く者》は、

星のようになって永遠にいたるでしょう。」

 

となっています。

 

新共同訳では、

 

「《目覚めた人々》は大空の光のように輝き

 

《多くの者の救いとなった人々》はとこしえに星と輝く。」

 

となっています。

 

これらの訳を見比べると、

日本語訳でもある程度理解することが出来るかも知れません。

特に、口語訳では、

「また」

という文字が入ることにより、

前者と後者を別に考えるように、というニュアンスとも取れる接続詞が使われています。

 

実際に、海外の訳はもっとこの部分が分かりやすく訳されている聖書もあります。

つまり、ダニエル書12章は、

理解しやすいように、

敢えて、

前者と後者を別けて訳されている、ということです。

 

要するに、

前者は、

(新改訳2017)

「賢明な者たち」

(口語訳)

「賢い者」

(新共同訳)

「目覚めた人々」

 

です。

 

そして後者が、

 

(新改訳2017)

「賢明な者たち」であり、

更に、

「多くの者を義に導いた者」

(口語訳)

「賢い者」であり、

更に、

「また多くの人を義に導く者」

(新共同訳)

「目覚めた人々」であり、

更に、

「多くの者の救いとなった人々」

 

ということです。

 

 

お分かり頂けたでしょうか。

ではまず、前者の、

 

(新改訳2017)

「賢明な者たち」

 

(口語訳)

「賢い者」

 

(新共同訳)

「目覚めた人々」

 

から考えてゆきましょう。

 

 

 

ここで述べられている人々は、

終末の期間に入ってから、

ヤハウェに仮選別され、

ハルマゲドンまでに気づきがあり、ヤハウェのみ旨を行おうと鼓舞され、実践している人々全てを表しています。

つまり、144000人級とすべての仮選別者からなる集合体です。

 

 

ただ、その中でも、後者の、

特に、

(新改訳2017)

「多くの者を義に導いた者」

 

(口語訳)

「多くの人を義に導く者」

 

(新共同訳)

「多くの者の救いとなった人々」

 

ここで述べられている人々は、

その中でも特に、

真の救済策を、

何かしらの方法で宣べ伝え

《続けた人々》

を表しています。

 

では、

 

例えば

初めは熱心にそのような活動を行ってはいましたが、

何かしらの状況が生じたゆえに、

途中で止めてしまった人々は、

先程の聖句でいうならどうなんでしょうか。

もしかすると、

前者の方に入るかもかも知れません。

(*あくまでも、ヤハウェに仕え続けているなら、ということで、自分の思考からヤハウェが離れてしまった人に関しては論外です。

厳しいように聞こえるかも知れませんが、悪魔の世のものになってしまえば、当然、選別から外れてしまうことでしょう。)

ただし、後に再開し、

宣べ伝える活動を最後まで行った人は後者を表しています。

当然、初めから終わりまで伝え続けた人々も後者になるでしょう。

今から始め、最後まで宣べ伝え続けた人々も、後者を表しているでしょう。

更に、今回の記事で鼓舞され、

ある意味目覚め、再び再開した人々も後者を表しているでしょう。

注目すべきなのは、

最後までやり遂げた人々、ということです。

 

 

 

当然ですが、前者よりも後者は、

ガラテヤ人への手紙6章7~9節の法則に基づき、より大きな報いを刈り取ることになります。

(新改訳2017)

「思い違いをしてはいけません。

神は侮られるような方ではありません。

人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。

自分の肉に蒔く者は、

肉から滅びを刈り取り、

御霊に蒔く者は、

《御霊から》

《永遠のいのち》

(*別解釈 「永遠の報い」

特に、144000人級に関しては、今、何を行うかにより、高次元に上げられた時に、ヤハウェから頂ける、

個人的なプレゼントに違いが生じます。

この個人的に与えられるであろう

プレゼントに関しては、

後日、あらためて伝えることの出来る範囲でお伝え出来ればと思いますが、

文字でお伝えするには限界がありますので、御了承下さい。

ただし、144000人全体として与えられるプレゼントも壮大なものですが、

個人的に与えられるプレゼントに関しては、

ヤハウェと与えられた本人しか分からないものです。

人間は、この宇宙、

地球(地球の中心も含む)、

素粒子のミクロの世界、

時間の概念、次元などについて、

一体、

何を理解しているでしょうか。

無限の力や知恵を持たれるヤハウェが、

どのような方かを理解すれば、

その与えられるであろうプレゼントは、

想像を遥かに超えるものであることは間違いありません。

 

例えば、詩編145編16節の 

(新改訳2017)

「あなたは御手を開き

生けるものすべての願いを満たされます。」 

 

と書かれてある預言的な聖句は、

完全になった時に、

完全な思考で、その人が望むもの、

その願いを満たして下さるわけですが、

 

ヤハウェが個人的に与えて下さるであろうプレゼントは、

そのようなものを

《遥かに凌駕した壮大なもの》だということだけ、

今回はお伝え出来ればと思います。

パウロヤハウェの偉大さに関して、

ローマ人への手紙11章33、34節で、

(新改訳2017)

「ああ、神の知恵と知識の富は、

なんと深いことでしょう。

神のさばきはなんと知り尽くしがたく、

神の道はなんと極めがたいことでしょう。

『だれが主の心を知っているのですか』」

と述べました。

いくら完全になったとしても、又、不滅、不朽の霊者になったとしても、

ヤハウェからの報いの全容を予測することは不可能です。

ヤハウェの「知識の富」の全容を知ることなど、誰が出来るでしょうか。

そのような想像を遥かに超えるような報い)

を刈り取るのです。

 

(新改訳2017)

「《失望せずに善を行いましょう》。

《あきらめずに続ければ》」、

 

(新共同訳) 

「飽きずに励んでいれば」

 

(口語訳)

「たゆまないでいると」

 

(*解釈的)には、

「疲れ果てて落胆してしまわないなら」)

 

「《時が来て》

《刈り取ることになります》。」

先程も述べたように、

ヤハウェからの報いの点では個人差はあるかも知れませんが、

救いの点では、皆同じと言えるでしょう。

 

では、続く部分の、12章4節

(新改訳2017)

「ダニエルよ。

あなたは

《終わりの時まで》、

このことばを

《秘めておき》、

この書を

《封じておけ》。

多くの者は

《知識を増そうと》

《捜し回る》。」

 

(口語訳)

「ダニエルよ、

あなたは終りの時までこの言葉を

《秘し》、

この書を

《封じておきなさい》。

多くの者は、

《あちこちと》

《探り調べ》、そして

《知識が増す》でしょう。」

 

となっています。

 

そして興味深いことに、

新共同訳では、次のように訳されています。

 

「ダニエルよ、

終わりの時が来るまで、

お前はこれらのことを

《秘め》、

この書を

《封じておきなさい》。

多くの者が

《動揺するでしょう》。

そして、

《知識は増す》。」

 

 

*「多くの者」は、

どのように

《あちこちと探り調べ》、

《捜し回り》、

《動揺し》、

そして、

「知識」が増すのでしょうか?

 

*又どの程度の知識なのでしょうか?

 

*いつ封印が解かれるのでしょうか?

 

*この預言は、現在、

yahweh-ksrg's blogさんが解説してくれているヨハネの黙示録11章の

「三日半」とどのような関連があるのでしょうか?

 

*イエスが語られた預言的な譬(たとえ)はどうなのでしょうか?

 

*主人はいつ旅に出掛けたのでしょうか?

 

*又そうであるならば、

今、宣べ伝える速度を遅くしている時でしょうか?

 

*5タラントは何を表しているのでしょうか?

 

*2タラントは?

 

*1タラントを土の中に隠した、というのはどのような深い意味があるのでしょうか?

 

*入ろうと努めながら、入れない者が多い、とは、誰のことを述べているのでしょうか?

 

*狭き門が益々狭められているのはなぜでしょうか?

 

*主人が旅に出掛けたのが遅れたのはなぜでしょうか?

 

*世界情勢は明らかに、

バイブルのシナリオ通り進んでいます。

もし、今、何かしらの疑念が生じているとしたら、それを誰が一番喜んでいるでしょうか?

 

*又、我々は何が出来るでしょうか?

 

ユダの手紙22~23節を見ると、

 

(口語訳)

「疑いをいだく人々があれば、

彼らをあわれみ、

火の中から引き出して救ってやりなさい。、、」

と書かれてある通りです。

 

我々に出来ることは、一人でも多くの方々を、

ヤハウェに導き《続ける》

ための奉仕です。

 

ぺテロの手紙 第一 4章11節には、

(新改訳2017)

「語るのであれば、

神のことばにふさわしく語り、

奉仕するのであれば、

神が備えて下さる力によって、

ふさわしく奉仕しなさい。」

 

と書かれてある通りです。

 

出来る可能な方々は、

今こそ、悪魔に対抗する最大の手段である宣べ伝える活動により、

真理を引き続き、発信してまいりましょう。

 

パウロも次のように述べている通りです。

コリント人への手紙 第二 6章1~10節

(新改訳2017)

「私たちは神とともに働く者として、

あなたがたに勧めます。

神の恵みを無駄に受けないようにしてください。

神は言われます。

『恵みの時に、わたしはあなたに答え、救いの日に、あなたを助ける。』

見よ、今は恵みの時、

今は救いの日です。

私たちは、この務めがそしられないように、

どんなことにおいても決してつまずきを与えず、

むしろ、あらゆることにおいて、

自分を神のしもべとして推薦しています。

すなわち、

苦難にも苦悩にも困難にも、

むち打ちにも入獄にも騒乱にも、

疲れ果てた時も眠れない時も食べられない時も、

大いなる忍耐を働かせて、

また、純潔と知識、

寛容と親切、

聖霊と偽りのない愛、

真理のことばと神の力により、

また左右の手にある義の武器によって、

また、ほめられたりそしられたり、悪評を受けたり好評を博したりすることによって、

自分を神のしもべとして推薦しているのです。

私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、

人に知られていないようでも、よく知られており、

死にかけているようでも、殺されておらず、

悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、

貧しいようでも、多くの人を富ませ、

何も持っていないようでも、すべてのものを持っています。」

 

と書かれてある通りです。

(*この聖句の注解は後日、お伝え致します)

 

 

では次回から、ダニエル書12章の核心となる説明に入ってゆきます。

まずは、ダニエル書12章、

そして同じダニエル書の別の預言に焦点をあててゆきます。

そして

いよいよ、この章の奥義に更に、

迫ってゆきたいと思います。

 

 

近日中に、yahweh-ksrg's blogさんの方から、

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