【ヤハウェのみ旨 保存版 ④】《受けるよりも与えるほうが幸いである》

今回は、新改訳聖書2017年版の

使徒の働き20章35節の、

パウロが述べた言葉から

ヤハウェのみ旨について考えてゆきましょう。

 

使徒の働き 20章35節

(新改訳2017)

「このように労苦して、

弱い者を助けなければならないこと、

また、主イエスご自身が

『受けるよりも与えるほうが幸いである』

と言われた みことばを、

覚えているべきだ ということを、

私はあらゆることを通して

あなたがたに示してきたのです。」

 

パウロは述べました。

パウロは12使徒ではありませんでしたから、

エスが亡くなられる前に、

直接、イエスから教えを受けることはありませんでした。

パウロ使徒職は、

ヤハウェとイエスから直接、任命されたものでしたが、

完全な人間としてのイエスから、

指導を得たわけではありませんでした。 

当時は、パリサイ派のガマリエルから、英才教育を受け、

次期、サンヘドリンの正員候補でした。

 

ですから、

「、、主イエスご自身が

『受けるよりも与えるほうが幸いである』

と言われたみことばを、、、」

と言ったのは、

恐らく、ルカから聞いたものと思われます。

 

 

では、ルカはイエスが言われた

どの言葉を、パウロに伝えたのでしょうか?

 

ルカの福音書6章38節を見ると、

次のように書かれてあります。

 

ルカの福音書6章38節

(新改訳2017)

「与えなさい。

そうすれば、あなたがたも与えられます。

詰め込んだり、

揺すって入れたり、

盛り上げたりして、

気前よく量って懐に入れてもらえます。

あなたがたが量るその秤で、

あなたがたも量り返してもらえるからです。」

 

(新共同訳)

「与えなさい。

そうすれば、あなたがたにも与えられる。

押し入れ、

揺すり入れ、

あふれるほどに量りをよくして、

ふところに入れてもらえる。

あなたがたは自分の量る秤で量り返されるからである。」

 

(口語訳)

「与えよ。

そうすれば、自分にも与えられるであろう。

人々はおし入れ、

ゆすり入れ、

あふれ出るまでに量をよくして、

あなたがたのふところに入れてくれるであろう。

あなたがたの量るその量りで、

自分にも量りかえされるであろうから」。

と書かれてあります。

 

どの訳し方でも意味は伝わると思います。

 

つまり、パウロは、

エスが語った言葉をルカから伝え聞いたわけです。

 

確かに、イエスが語られたこの言葉は、宇宙の法則とも言える真理です。

しかし、この言葉だけだと、

ある人々は、誤解して解釈し、

これを、《見返りを期待》した行為と、受け取ってしまう人々もいるかも知れません。

 

それで、パウロは、敢えて簡潔に、

 

「、、主イエスご自身が

『受けるよりも与えるほうが幸いである』

と言われたみことばを、」

と、述べたものと思われます。

 

『受けるよりも与えるほうが幸いである』

 

なんと美しく、簡潔で、重みのある言葉でしょうか。

 

このみ言葉は真理です。

 

実際に、人間は、与えることから幸福感を味わうことが出来るように創造されています。

医学的見地から見ても、真実です。

 

しかし、悪魔は、これと真逆な精神を抱くよう様々な媒体を通して、

人間を洗脳しています。

又、そのように、与えることから喜びを得ることが出来ないように、

この体制を誘導しているのも事実です。

 

だからこそ、我々、ヤハウェの僕たちは、悪魔の世のものとならない為に、

『受けるよりも与えるほうが幸いである』

という

このイエスが述べた言葉を実践して、真の喜びを保つことが大切と言えるのではないでしょうか。

 

その与える最も価値ある方法は、

仮選別されている方々に、

 

(中にはまだ気づいていない、自覚していない方々もおられるかも知れません。

恐らくですが、可能性を見越して、かなりの数の方々が、

ヤハウェに仮選別されているものと思われます。

ただし、最終選別は最後にならないと分かりません。)

 

ヤハウェへの近づき方を知らせてあげることこそ、最大の愛の表現であり、

与えることの出来る最大のプレゼントと言えるでしょう。

 

(*ヤハウェは先々の可能性をも見越して、仮選別しています。

ですから、最後になって分かることですが、

どれだけ周囲の人から表面的に良い人と認識されていたとしても、

ヤハウェが仮選別しないには、我々、不完全な人間には分からない何かしらの理由がある、ということでしょう。

例1

「モハンダス・ガンジー

世間一般には、ガンジーは正義を貫き通した偉人である。

と言われてきましたが、SNSの進んだ今の時代では、知る人ぞ知っている事実ですが、本当にガンジーは正義を貫き通した偉人だったのでしょうか?

例2

マザー・テレサ

これまで、マザー・テレサと言えば、貧しい子どもたちの為に自身の財産を差し出した偉人で、カトリックのセイント(聖人)に認定されている人、と言われ続けてきましたが、本当にそうなのでしょうか?

このことも今では知る人ぞ知る裏の事実が?

ということです。

(※誤解のないようにして頂けたらと思います。

ここで敢えて実名を挙げさせて頂いたのは、「ある人々」では、説得力に欠けるということで取り上げさせて頂いたわけですが、だから、どうのこうの、ということを述べたかったわけではなく、表面的には人の良し悪しを見抜くことは難しいということを述べたかったわけで、逆に悪人と世間一般的に思われていた人が、実は人格者だった、というケースもあるわけです。)

 

聖書でいう「正しい人」というのは、

良心が正常に機能している人であり、良心が正常に機能している人であるなら、最終的に、

伝道者の書12章13節の、

(新改訳2017)

「結局のところ、

もうすべてが聞かされていることだ。

神(ヤハウェ)を恐れよ。

神の命令を守れ。

これが人間にとって

すべてである。」

と書かれてあるように、

人間が存在している意義を、

正しく理解出来ている人のことです。)

 

それで、

可能な方々は、Web上で、そのような真実を知らせてあげることも出来るかも知れません。

 

現在、世界中で、そのことが行われています。

 

ただ、日本はある意味、特異な国と言えるかも知れませんので、働き人が少ないのも事実です。

 

さて、パウロは、ルカからイエスの述べた言葉を聞いた時、

エスは、宇宙の法則を述べただけで、

決して、見返りを期待する、というような意味での《与える行為》ではないということを正しく解釈して、読者に、分かりやすく要約しました。

 

勿論、パウロ旧約聖書に精通していましたので、

ルカからその言葉を聞いた時、

エスが、聖書のどの言葉を引用し、

あのような宇宙の法則を述べたのか理解していたことでしょう。

 

では、イエス旧約聖書のどの言葉を引用したのでしょうか?

 

それは箴言19章17節です。

 

(新共同訳)

「弱者を憐れむ人は主に貸す人。

その行いは必ず報いられる。」

 

エスは、この法則、つまり、真理を述べたのです。

 

これこそが、ヤハウェが望んでおられるご意志でもあるのです。

 

「弱者」

と言える方々に、

見返りを期待出来るでしょうか?

 

しかし、そういう方々にこそ、我々は愛を示すべきであり、

「憐れむ」

つまり、与える最高の行為である、真の救済策を知らせることによって、真の喜びを経験することが出来るでしょう。

 

ここで、述べられている

「弱者」とは、悪魔の世において、虐げられ、将来の希望も知らない人々、しかし、真理に飢えている、真理を求めている人々のことです。

 

 

「補足情報」

ヤハウェに仮選別されていなくても、大きな苦難の時、改心の機会が与えられ、改心して、「他の羊」の中に入れられる人々も、もしかしたらおられるかも知れません。

なぜ、そう言えるのかについては、後日、

聖書的根拠から解説致します。

 

※また、これまでに、善人である人々が、悪魔の世で、信じられないような酷い仕打ちを受け、最終的に殺害された方々はかなりの数にのぼることでしょう。

では、ヤハウェはなぜ、悪魔のそのような残虐な行為を許されたのだろうか?

と疑問に思われる方々もおられるかも知れません。

勿論、そう言った方々には復活の希望があり、新しい世で永遠に生きる機会が与えられます。

でも中には、過去に受けた残虐行為を忘れることなど出来ず、幸せにはなれないのではないだろうか ?

と思われる方々もおられるかも知れません。

聖書はなんと述べているでしょうか?

 

ヨハネの黙示録21章4節

(新改訳2017)

「《神は》彼らの目から

涙を《ことごとく》

《ぬぐい取ってくださる》。

、、悲しみも、

叫び声も、苦しみもない。

以前のものが過ぎ去ったからである。」

 

イザヤ書65章17節

(新改訳2017)

「見よ、《わたしは》

新しい天と新しい地を

《創造する》。

《先のこと》は《思い出されず》、

《心に上ることもない》。」

 

(口語訳)

「見よ、

《わたしは》

新しい天と、新しい地とを

《創造する》。

《先のこと》は

《覚えられることなく》、

《心に思い起こすことはない》。」

 

(新共同訳)

「見よ、

《わたしは》新しい天と新しい地を《創造する》。

《初めからのこと》を

《思い起こす者はない》。

それは

《だれの心にも上ることはない》。」

この真理を一人でも多くの方々に拡散して頂いだけたら幸いです。

 

 

最後に、当ブログや、

yahweh-ksrg's blogさんは、

この国内において、  

ヤハウェから、ある意味、特権として、霊的な食物を分配することを許されてはいますが、宗教団体などのように、悪魔の世でいう上下関係などは一切 存在していません。

むしろ、私たちは皆様にお仕えする奴隷に過ぎまん。

不完全な人間を高めることは

ヤハウェのご意志ではありませんし、

人間には救いはないからです。

ヤハウェにこそ、賛美と栄光が帰されるべきです。

 

その点を誤解のないようにして頂けたらと思います。

 

ルカの福音書17章10節

(新改訳2017)

「同じようにあなたがたも、

自分に命じられたことをすべて行ったら、

『私たちは取るに足りないしもべです。

なすべきことをしただけです』

と言いなさい。」

 

と書かれてある通りです。

 

マタイの福音書20章25~28節

(新改訳2017)

「そこで、イエスは彼らを呼び寄せて言われた。

『あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者たちは人々に対して横柄にふるまい、

偉い人たちは人々の上に権力をふるっています。

あなたがたの間では、そうであってはなりません。

あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、皆に仕える者になりなさい。

あなたがたの間で先頭に立ちたいと思う者は、皆のしもべになりなさい。

人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、

また多くの人のための贖いの代価として、

自分のいのちを与えるために来たのと、

同じようにしなさい。』」

 

 

 

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