【ヤハウェのみ旨 保存版 ⑤】《ですから、人からしてもらいたいことは何でも、あなたがたも同じように人にしなさい。》
今回は、イエスが語られた黄金律とも言われている、
マタイの福音書7章12節から、
ヤハウェのみ旨を考察してゆきましょう。
(新改訳2017)
「ですから、
人からしてもらいたいことは何でも、
あなたがたも同じように人にしなさい。
これが律法と預言者です。」
(口語訳)
「だから、
何事でも人々からしてほしいと望むことは、
人々にもそのとおりにせよ。
これが律法であり預言者である。」
(新共同訳)
「だから、
人にしてもらいたいと思うことは何でも、
あなたがたも人にしなさい。
これこそ律法と預言者である。」
と書かれてあります。
これは、そのまま文字通りに解釈してしまうと、
トラブルが発生しかねない言葉と
なるかも知れません。
人間は十人十色、自分が、誰かから、何かしてほしいと思うことが、必ずしも、他の人も同じように感じるとは限らないからです。
ではこの言葉は、どのように解釈出来るのでしょうか?
皆様は、自分が心からしてもらいたい、してほしいと思ったことを、
その通り誰かからしてもらった経験はおありでしょうか?
現実問題、こちらから相手側に、具体的に伝えないなら、
難しいことかも知れませんね。
確かに、この言葉を実践する為には、相手側が、どのような人で、何をしてあげれば喜ぶのかを、まずは知る必要があるかも知れません。
ただ、イエスは、そのようなことを教える為だけに、この黄金律を述べたのでしょうか?
もう一歩踏み込んで、
この黄金律は、山上の説教の中で語られた言葉だということを思いおこして見て下さい。
山上の説教は、次の言葉から始まっています。
マタイの福音書5章3節
(新改訳2017)
「心の貧しい者は幸いです。
天の御国はその人たちのものだからです。」
と書かれてあります。
新改訳2017年版の脚注を見ると、
直訳
↓
「霊において貧しい者」
となっています。
つまり、ヤハウェからの霊的な必要を欲している者です。
そのことを考えると、
マタイの福音書7章12節をどのように解釈出来るでしょうか?
相手の霊的な飢え、
霊的な必要を満足させてあげること。
つまり、
ヤハウェに他の人を導いてあげることです。
詩編145編16節には、
ヤハウェについて次のように書かれてあります。
(新改訳2017)
「あなたは御手を開き
生けるもの
《すべての願い》を
《満たされます》。」
人間の必要を100%満たすことの出来る方は、ヤハウェだけです。
これが今回考えた、ヤハウェの御旨です。
是非、一人でも多くの方々を、
ヤハウェに導いてあげましょう。
この宣べ伝える業は今しか出来ないのです。
後悔のないよう
善を行える内に行いましょう。
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