【疑問に思われたことはないですか? 聖書からの答え】(1)《 聖書は神の啓示された名前を隠そうとしたり置き換えようとしているか?》

宣教に使うことの出来る 疑問に対する答え 第一回目です。

 

 

今回は最も基本的な疑問の一つに

フォーカスします。

 

本来、聖書は、古代ヘブル語と、

古代ギリシャ語(コイネー)で書かれました。

そして、現存している聖書の写本は、断片も含めるなら、

約数万を数えるほどです。

(*公式では

旧約聖書の写本が、約6000以上

新約聖書の写本が、約16000以上

と言われていますが、本当はもっと多く現存しています。)

 

ですが、残念なことに、

今日、多くの翻訳聖書には、

神の名前が記されていません。

 

それで、

主題にも記しましたが、

本来、聖書は、

神の名前を隠そうとしたり、

なにかしらの称号などに置き換えようとしたり しているのでしょうか?

(*「主」「三位一体」等)

又は、全能の神でないものに置き換えたりすること

(*「イエス樣」「聖霊樣」等)

についてはどうなのでしょうか?

 ↓

【聖書からの答え】

を見ていきましょう。

 

 

イザヤ書12章4、5節

(新改訳2017)

「その日、

あなたがたは言う。

『主に感謝せよ。

その《御名》を《呼び求めよ》。

そのみわざを、

もろもろの民の中に知らせよ。

《御名》が

《あがめられていること》を

《語り告げよ》。

主をほめ歌え。

主はすばらしいことをされた。

これを《全地に知らせよ》。』」

 

 

※ここに、「....御名を呼び求めよ、

御名があがめられていることを...」

とはっきりと書かれてあります。

これでも頑なな人たちは、

主の御名を呼び求めないでしょう。

主の御名はヤハウェです。

 

 

②マタイの福音書6章9節

(新改訳2017)

「ですから、あなたがたは

こう祈りなさい。

『天にいます《私たちの父よ》。

《御名》が聖なるものとされますように。』」

 

 

※これはイエスが教えられた模範的な祈りの最初に、天の父に対して、

『 御名が聖なるものとされますように。』

と言われたのです。

名前を知らなければどうでしょうか。

御名を聖なるものと出来るでしょうか、

また、聖なるものとしていることになるでしょうか?

 

 

ヨハネ福音書17章26節

(新改訳2017)

「わたしは彼らに

あなたの《御名を知らせました》。

また、

《これからも知らせます》。、、」

 

 

イエス・キリストはご自分の弟子たちに

全能の神の御名を知らせました。

最後まで。

では、イエスの追随者である我々が神の御名を知らせないで、

真の崇拝を実践していると言えるでしょうか。

 

 

④ローマ人への手紙10章13節

(新改訳2017)

「『《主の御名》を呼び求める者はみな救われる』のです。」

 

 

パウロは はっきりと

《主の御名を呼び求める者》が

救われる、と

ヨエル書を引用して述べたのです。

ヨエル書2章32節

(新改訳2017)

「しかし、主の御名を呼び求める者は みな救われる。、、、」

 

ここで述べている主とは、

ヤハウェです。

現存しているヘブル語の写本には、

ヤハウェの御名が記されています。

 

 

詩編83編18節

(新改訳2017)

  ↓

「こうして彼らが

《知りますように》。

その《名が》

主である

あなただけが

全地の上におられる

いと高き方であることを。」

 

 

※ これは 元々 ヘブル語の写本に、

ヤハウェの御名が記されていたという証です。

 

でも

『その名が』

『《主》であるあなただけが』

となっているわけです。

お分かり頂けるでしょうか。

主は称号であり、固有の名ではありません。

この部分を「主」と訳すと、

違和感しか残りません。

主の御名はヤハウェです。

 

 

箴言18章10節

(新改訳2017)

「主の《名は》

堅固なやぐら。

正しい人はその中に駆け込み、

保護される。」

 

 

※この聖句によると、

主の御名を知らないなら、

正しい人とは言えないということになります。

それでも頑なな人たちは、

ヤハウェの御名を口にしないでしょう。

 

 

⑦マタイの福音書23章39節

(新改訳2017)

「わたしはおまえたちに言う。

今から後、

『祝福あれ、《主の御名》によって

来られる方に』と

おまえたちが

言う時が来るまで、

決しておまえたちが

わたしを見ることはない。」

 

 

※イエスは、詩編118編26節を引用して、このように言われました。

詩編118編26節

(新改訳2017)

「祝福あれ

主の御名によって来られる方に。、、、」

 

ここで述べられている「主の御名」

の主とはヤハウェです。

現存するヘブル語の写本には

ヤハウェの御名が記されています。

それでも、ヤハウェの御名を口にしないのはなぜでしょうか?

あまりにも不可思議としか言えません。

 

 

 

次回のこのシリーズも楽しみに。

 

次の記事は、

「5つの事とは?」

《高次元とのコミュニケーション》

(2)【最新解釈版】

「赦すことをヤハウェが望んでおられるのはなぜですか?」

を更新予定です。

 

明日、7月9日は、

yahweh-ksrg's blogさんの方から 

「神の言葉[聖書]はとこしえに残る」No.41を更新予定です。

お楽しみに。

 

 

yahweh-ksrg's blogさんのブログからは、聖書の最新の解釈記事が定期的に更新されています。

https://yahweh-ksrg.hatenablog.jp/about