【144000人の奥義】(12)《多くの者は自分を清め、白くし、練られるでしょう》「ダニエル書12章 ③」

今回も、ダニエル書12章の解説を行いたいと思います。

 

まず、

12章7節中ほどから見ると、

(口語訳)

「、、それは、ひと時とふた時と半時である。

聖なる民を打ち砕く力が消え去る時に、、、」

 

この部分から考えましょう。

 

まず、

「ひと時とふた時と半時」

と、

「聖なる民を打ち砕く力が消え去る時」

は、

同じ期間のことではありません。

 

まず、

「ひと時とふた時と半時」が過ぎ去るということです。

 

ここでいう三時半は、何度も繰り返すかも知れませんが、

ヨハネの黙示録でいう

「1260日」

「42ヵ月」

「三年半」

「三時半」(新改訳2017)

と同じ期間です。

 

そして、ダニエルが、

「異常、不思議、驚くべきこと」

と述べた意味は、

「思いがけないこと、正常ではない、不自然、異様、なぜそうなるのかがよく分からない、常識や理性では説明がつかないことなど」

 

の意味がありましたが、

 

恐らく、ダニエル自身も、

12章までの預言を啓示されたわけですが、

しめくくりに御使いが、

「ダニエルよ。

あなたは

《終わりの時》まで、

このことばを

《秘めておき》、

この書を

《封じておけ》。

多くの者は

《知識を増そうと》

《捜し回る》。」

と述べたことにより、

余計に動揺していたことでしょう。

それで、何を?ということより、

漠然と、

先程のような事を質問したと考えられます。

それに対して御使いが、

(新改訳2017)

「一時と二時と半時である。

 

聖なる民の力を打ち砕くことが終わるとき、

これらすべてのことが成就する。」

 

と述べたことにより、

さらに意味を掴むことが出来なかったものと思われます。

 

ですから、8節で、

(新改訳2017)

「私はこれを

《聞いたが》、

《理解すること》が

《できなかった》。

そこで私は尋ねた。

『わが主よ、この終わりはどうなるのでしょう。』」

 

となっています。

 

それに対して御使いは、

 

(新改訳2017)

「彼は言った。

『ダニエルよ、行け。このことば は《終わりの時》まで

《秘められ》、

《封じられている》からだ。

多くの者は

《身を清めて》

《白くし》、

そうして

《錬られる》。

悪しき者どもは悪を行い、

《悪しき者ども》の

《だれも》

《理解することがない》。

しかし、

《賢明な者たち》は

《理解する》。』」

となっています。

 

お気づき頂けたでしょうか?

 

ここでいう「終わりの時」とは?

 

さて、

以前に、口語訳に、原語からの解釈を加えると、次のようになる、という訳を記事に書いたと思いますが、

「、、、それは、ひと時とふた時、そして半時

《が》

《過ぎるだろう》。

《さらに》、

聖なる民を打ち砕く力が消え去る

《とすぐに》、

これらのことは

《終わるだろう》。」

 

となります。

 

つまり、ヨハネの黙示録でいう

 

「1260日」

「42ヵ月」

「三年半」

「三時半」(新改訳2017)

がまず《過ぎさる》ということ。

 

ですから、ダニエル書12章でいう

「終わりの時」は、

ヨハネの黙示録でいう、

「1260日」

「42ヵ月」

「三年半」

「三時半」(新改訳2017)

以降、ということになります。

 

 

ダニエル書12章4節にもう一度注目しましょう。

 

(新改訳2017)

「ダニエルよ。

あなたは

《終わりの時》まで、

このことばを

《秘めておき》、

この書を

《封じておけ》。

多くの者は

《知識を増そうと》

《捜し回る》。」

(口語訳)

「ダニエルよ、

あなたは

《終りの時》までこの言葉を

《秘し》、

この書を

《封じておきなさい》。

多くの者は、

《あちこちと探り調べ》、

そして

《知識が増す》でしょう。」

となっています。

 

少しまとめると、

 

まず、

終末の期間に入ります。

期間は、

「1260日」

「42ヵ月」

「三年半」

「三時半」(新改訳2017)

です。

その期間に、

「多くの者は知識を増そうと捜し回る。」

(新改訳2017)

 

「多くの者は、あちこちと探り調べ、そして知識が増すでしょう。」

(口語訳)

 

あくまでも、「知識が増す」

のであって、

(口語訳)

「悟る」

(新共同訳)

「悟る」

(新改訳2017)

「理解する」

つまり、この預言でいう

「悟る」

「理解する」

ではない、ということです。

 

繰り返しますが、

(新改訳2017)

「多くの者は知識を増そうと捜し回る。」

(口語訳)

「多くの者は、あちこちと探り調べ、そして知識が増すでしょう。」

 

ダニエル書12章でいう

「終わりの時」というのは、

それからです。

 

 

ただ、この「終わりの時」は、

 

ヨハネの黙示録11章7節~と被ります。

つまり、

「三日半」と

それ以降と被る、ということです。

 

(※この「三日半」とそれ以降については、後日、当ブログと、

yahweh-ksrg's blogさんの方から解説されます。

だだし、このことは述べておきたいと思いますが、

144000人級が、

ヤハウェの望まれるところまで整えられていたなら、

人類に2022年はなかったかも知れません。

なぜそう言えるのかについては、

更に、この「三日半」やそれ以降が、どのような深い意味をもった預言だったのか?

更に、イエスが語られた

「10人のおとめ」の譬(たとえ)

の中で、

(口語訳)

「花婿の来るのが

《おくれたので》」

(新共同訳)

「《ところが》、花婿の来るのが

《遅れたので》」

(新改訳2017)

「花婿が来るのが

《遅くなったので》」

 

と訳されている部分です。

※マタイによる福音書ははじめは、

ヘブル語で筆記され、

後にギリシア語に翻訳されましたが、

25章の「10人のおとめ」に関しては、ヘブル語独自の用法が用いられていた為、この部分に関しては、

ヘブル語で解釈する必要があります。

その点についても、後日、相応しい時に、記事として更新出来たらと思います。

 

それまでお待ち下さい。)

 

最後に、

当ブログやyahweh-ksrg's blogさんの方から更新されている記事を定期的に読んで下さっている方々へ

 

今、

次のイエスが述べた聖句のような人々にならないよう、

特に、自分の思いや心を守って頂けたらと思います。

 

ルカによる福音書12章45節

(新共同訳)

「しかし、もしその僕が、

主人の帰りは遅れると思い、

下男や女中を殴ったり、

食べたり飲んだり、

酔うようなことになるならば、」

 

(新改訳2017)

「もし、

そのしもべが心の中で、

『主人の帰りは遅くなる』と思い、男女の召使いたちを打ちたたき、

食べたり飲んだり、

酒に酔ったりし始めるなら、」

 

(口語訳)

「しかし、もしその僕が、

主人の帰りがおそいと心の中で思い、

男女の召使たちをたたき、

そして食べたり、

飲んだりして酔いはじめるならば、」

 

遅れている本来の意味を見失うことがないようにして頂けたらと思います。

つまり、このような精神状態になっている時点で、自己中心的であり、利他的になっていないと言えないでしょうか?

今この点で調整が必要だと気づかれた方々は、是非調整して下さればと思います。

益々、門は狭められています。

ルカによる福音書13章24節

(新共同訳)

「狭い戸口からはいるように努めなさい。

事実、はいろうとしても、

はいれない人が多いのだから。」

という聖句は、

キリスト教界に対して述べている、というより、すべての仮選別者に対しての警告の言葉です。

 

次の聖句を自分自身に当てはめましょう。

ぺテロの手紙 第二 3章9節

 

(新改訳2017)

「主は、ある人たちが遅れていると思っているように、

約束したことを遅らせているのではなく、

あなたがたに対して忍耐しておられるのです。

だれも滅びることがなく、

すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」

 

(口語訳)

「ある人々がおそいと思っているように、

主は約束の実行をおそくしておられるのではない。

ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、

あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。」

 

ヤハウェはなぜ時を延ばしておられるのでしょうか?

延ばせば延ばすほど不利になることを承知しておられるはずです。

144000級を信頼して下さっておられるからです。

その期待を裏切らないようにしたいものです。

ヤハウェへの愛を更に増し加えてゆきましょう。

栄光と賛美とがヤハウェに帰されますように。

 

 

 

yahweh-ksrg's blogさんの方からは、最新の聖書の解釈記事が定期的に更新されています。

今回の記事の趣旨を読み取って下さったら幸いです。

 

https://yahweh-ksrg.hatenablog.jp/about