【144000人の奥義】(9)「別解釈」《主人が旅に出かけたのは?》

今回は、前回とは違った解釈で、

話を進めてゆきたいと思います。

 

聖書の預言は、特に奥義に関しては、時期や場合によっては、

別の解釈で理解する必要があり、必ずしも、一つの解釈だけで理解出来るものではありません。

 

分かりやすいのは、イエスが語られたマタイによる福音書24章の預言は、西暦一世紀に成就したものもありますが、メッセージ的には終末預言です。

同様に、旧約聖書の預言も、当時成就した預言、さらには、西暦一世紀に成就した預言、そして、今の時代に成就する預言というふうに、解釈が異なることがある、ということです。

であるならば、イエスが語られた預言的な譬(たとえ)はどうでしょうか。

不完全な人間であった過去の預言者より偉大なメシアが語られた預言はまさに最も奥深い奥義と言えますので、いく通りもの解釈の仕方がある、ということをおさえておいて頂けたらと思います。

全ては、聖霊が教えてくれる、ということです。

前おきが長くなりましたが、

そのような意味で、今回は前回とは、別の解釈で話をすすめてゆきます。

 

それで、

主人が旅に出たのはいつか?

また、どのような目的ゆえか?

ということですが、

 

その前に、

まず、マタイによる福音書28章20節を見ると、

(新共同訳)

「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。

わたしは《世の終わりまで》、

《いつもあなたがたと共にいる》。」 

と書かれてあります。

 

そして、イエス・キリストは後に、使徒たちに使命を与えてから昇天されました。

 

その後、イエス・キリストは、

一度も、弟子たちに現れなかったのでしょうか?

 

聖書の中を見ると、ここでは敢えて 詳細には述べませんが、

パウロに現れている事はおさえておいて頂けたらと思います。

 

それから、当時の大きな苦難を生き残ったキリストの弟子たちが何人いたのかは分かりませんが、

かなり少数だった事は分かります。

 

それから使徒ヨハネに現れ、

黙示録が書き記された、という事です。

 

しかし、ヨハネの死後、

キリストの教えは悪魔に乗っ取られ、

まがい物のキリスト教が約2000年近く人類の中で、はびこる事を、

ヤハウェは許されました。

(*厳密に言うと、西暦70年以降に腐敗が始まって、

完全に乗っ取られたのが、

ヨハネの死後、という事です。その事を今から説明致します。)

 

繰り返しますが、キリストの教えが歪められて、

人類の中ではびこる事を、ヤハウェは許されたのです。

 

 

いつまででしょうか?

 

 

ルカの福音書21章24節を見ると、

(新改訳2017)

 

「人々は剣の刃に倒れ、捕虜となって、あらゆる国の人々のところに連れて行かれ、

《異邦人の時が満ちるまで》、

エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。」

と記されています。

 

この、「異邦人の時」とは何の事でしょうか?

又、ここでいう「エルサレム」とは?

 

まず、ここでいう「エルサレム」です。

 

これは文字通りのエルサレムの事だけではなく、

ヨハネの黙示録のある預言とも関連のあるエルサレムです。

 

実際、エルサレムを首都としていた当時のユダヤ人たちは、

西暦一世紀に、ヤハウェに切り離されていました。

(マタイによる福音書27章25節 参照)

 

ではここで言うエルサレム

そのエルサレムが、踏み荒らされる、

口語訳では、

「踏みにじられる」

これらの詳細は、後日、

yahweh-ksrg's blog様が記事の中で解説して下さいますので、その時までお待ち下さい。

 

 

では、「異邦人の時」はいつから始まったのでしょうか?

 

ルカの福音書21章の文脈を見ると分かりますが、

西暦70年のユダヤの体制の滅びの時です。

 

その時から「異邦人の時」が始まった、という事です。

 

では、「異邦人の時」はいつ、

「満ち」たのでしょうか?

 

その前に、ヨハネの黙示録1章10節

(新改訳2017)

「私は主の日に御霊に捕らえられ、、、」

と書かれてありますが、

 

この新改訳2017年版の訳が日本語訳では一番原語に近い訳となっていますが、

この訳し方でもまだ理解しづらいですが 

あるヘブル語訳聖書の日本語直訳は分かりやすいので、

その直訳によると、

 

「私は聖なる霊感によって、主の日に連れて来られ、、」

となっています。

 

つまり、ヨハネは霊感によって、

主の日

終末の期間

に連れて来られた、という事です。

 

これはYouTubeチャンネル From KSRG様の動画でも紹介されていたと思いますが、

ヨハネの黙示録は、

終末の期間、又はそれ以降に成就する預言が記されている、という事です。

 

まず、この事も、おさえておいて頂けたらと思います。

 

 

では、話を本論に戻したいと思います。

 

では、「異邦人の時」とはなんでしょうか?

 

🖌️

エルサレムが、異邦人によって踏みにじられる時の事です。

 

西暦一世紀に、

文字通りのエルサレムが、異邦人によって踏みにじられました。

 

実際、真のキリストの教えが、

文字通り、西暦70年以降、踏みにじられ始めました。

 

更に、ヨハネの死後、キリストの教えは、完全に踏みにじられるようになってゆきました。

 

それから約2000年近く、キリストの教えは、悪魔によってベールを被せられていたのです。

(コリント二4章3、4節 参照)

 

そして、

ルカの福音書21章24節の

「異邦人の時」は、

終末の期間に入ってからも続いてゆきます。

 

 

ただし、終末の期間に入ってからは、更に、次の預言とも重なって成就してゆきました。

 

 

ヨハネの黙示録11章2節

(新改訳2017)

 

「神殿の《外の庭》は

《そのままにしておきなさい》。

それを《測ってはいけない》。

それは異邦人に与えられているからだ。

彼らは《聖なる都》を四十二か月の間、《踏みにじることになる》。」

 

 

では、

いつ、「異邦人の時」が満ちたのでしょうか?

 

この事に関しましては、又後日、

詳しく解説出来たらと思います。

 

 

それと、最初に紹介した、

マタイによる福音書28章20節の、

 

「、、わたしは世の終わりまで、

いつもあなたがたと共にいる。」

 

とは、どう言う意味だったのでしょうか?

エスは、別の時に使徒たちに次のようにも語りました。

 

マタイの福音書18章10、19、20節

 

(新改訳2017)

「あなたがたは、この小さい者たちの一人を軽んじたりしないように気をつけなさい。

 

あなたがたに言いますが、

天にいる、彼らの御使いたちは、

天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。

 

まことに、もう一度あなたがたに言います。

 

あなたがたのうちの二人が、

どんなことでも地上で心を一つにして祈るなら、

天におられるわたしの父はそれをかなえてくださいます。

 

二人か三人がわたしの名において集まっているところには、

わたしもその中にいるのです。」

 

とあります。

この聖句の趣旨は、

エスは、まず、弟子たちに、

天の父ヤハウェに注目させている事です。

御使いたちでさえ、

ヤハウェの御顔をいつも見ていると。

そして、ヤハウェの御旨にかなった祈りは、必ず聞き届けられると。

そして、心を一つにして、

ヤハウェに仕える者として、

ヤハウェの御旨を行っている者が、

エスの名によって、

二人か三人集まっているなら、

エスが近くにおられる、という事です。

 

お気付き頂けたでしょうか?

 

西暦一世紀においては、

エスの弟子たちに聖霊が注がれましたので、

殆どは、聖霊の指示通り、

使徒たち、その他の弟子たちは精力的に活動しました。

その事は、使徒行伝を読めば、

一目瞭然です。

 

しかし、《パウロ》に関しましては、

《直接、現れ》、

《イエスからの指示》を受けました。

使徒行伝9章を見ると分かりますが、

パウロに現れ、パウロは、

ヤハウェとイエス》から

《直接》、使徒として任命されました。

(ガラテヤの信徒への手紙1章1節 参照)

 

更に、使徒の働き18章9、10節

(新改訳2017)

 

「ある夜、主(イエス)は幻によってパウロに言われた。

『恐れないで、語り続けなさい。

黙ってはいけない。

わたしが《あなたとともにいる》ので、あなたを襲って危害を加える者はいない。

この町には、わたしの民がたくさんいるのだから。』」

 

この時も、幻を使って、パウロ接触されたことが分かります。

 

少しまとめると、

 

「異邦人の時」が始まってから、

西暦一世紀も終わろうとしていた頃、

エス使徒ヨハネ接触され、

黙示録を啓示されました。

しかし、真の知識は、それ以降、

つまり、終末の期間に入るまで、

誰かにヤハウェからのインスピレーションが降りて来る、という事はなかった、ということです。

 

✍️

しかし、終末の期間に入ると、

ヤハウェは、まず聖霊による証印を144000人級に押す事を開始されました。

 

そして、ヨハネの黙示録で、度々述べられているように、

ある者たちに、イエス接触されるようにもなりました。

ヤハウェからのインスピレーションを受け取ることが出来るよう助けた、という事です。

 

(※この事に関する詳細は、後日、

yahweh-ksrg's blog様の方から記事として更新される予定です。

楽しみに。)

 

しかし、終末の期間に入り、

少しづつ、真の知識が明らかになってはきましたが、

まだまだ分からない事ばかりでした。

 

しかし、この時期に入ってから、

(※今は特別な期間です。

この詳細も、後日、

yahweh-ksrg's blog様の方から更新されます。)

 

次のイエスが語られた譬(たとえ)が成就する事になっていたのです。

 

そうです。

マタイによる福音書25章のタラントの譬(たとえ)の預言です。

今、ここで言えることは、

主人が、《ある目的の為》に、象徴的な意味での旅に出た、ということです。

 

ということは、

《主人の財産を増やす》かどうかは、《今からだ》ということになります。

 

ある者は五タラント級

ある者は二タラント級

そして、

ある者は一タラント級です。

 

✍️

繰り返しますが、主人の財産を増やすのはいまからです。

過去のことではありません。

勿論、過去に示したヤハウェへの愛も、ヤハウェは記憶して下さっておられますが、

大切なのは、これから、ということを今回の記事を通して、心に銘記して下さったらと思います。

(ヘブル人への手紙6章10節 新改訳2017 参照)

 

 

では、

ここで言う財産とは何だったでしょうか?

このシリーズの過去記事をお読み下さればと思います。

 

このイエスの語られた今回の譬(たとえ)の解釈は今後も行って参りますが、

その前に、旧約聖書のある預言に焦点を当てる必要があります。

 

それはダニエル書です。

では、次回からは、

ダニエル書にスポットを当てて、

記事を更新してゆきますので、よろしくお願いいたします。

 

又、今後も yahweh-ksrg's blog様から更新される記事にも細心の注意をはらって下さればと思います。

 

YouTubeから聖書の正確な知識を学びたい方々は、

From KSRG様のYouTubeチャンネルから学べます。

https://youtube.com/@fromksrg8450

 

 

ブログからは最新の記事が更新されています。

https://yahweh-ksrg.hatenablog.jp/about