【144000人の奥義】(8)《主人が遅れている今、我々が行える事》「タラントの譬から学べる教訓」

今回から、

エスが語られたタラントの譬(たとえ)から教訓を学んでゆきましょう。

 

マタイの福音書25章14節からです。

今回は、新改訳2017年版から解説したいと思います。

 

「天の御国は、旅に出るにあたり、自分のしもべたちを呼んで財産を預ける人のようです。

 

彼はそれぞれの能力に応じて、

一人には五タラント、

一人にはニタラント、

もう一人には一タラントを渡して旅に出かけた。

 

するとすぐに、

五タラント預かった者は出て行って、

それで商売をし、ほかに五タラントをもうけた。

 

同じように、ニタラント預かった者もほかにニタラントをもうけた。

 

一方、一タラント預かった者は出て行って地面に穴を堀り、

主人の金を隠した。

 

さて、かなり時がたってから、

しもべたちの主人が帰って来て彼らと精算をした。

 

すると、五タラント預かった者が進み出て、もう五タラントを差し出して言った。

 

『ご主人様。私に五タラント預けてくださいましたが、ご覧ください。私はほかに五タラントをもうけました。』

 

主人は彼に言った。

 

『よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。

主人の喜びをともに喜んでくれ。』

 

ニタラントの者も進み出て言った。

 

『ご主人様。私にニタラント預けてくださいましたが、ご覧ください、ほかにニタラントをもうけました。』

 

主人は彼に言った。

 

『よくやった。良い忠実なしもべだ。おまえはわずかな物に忠実だったから、多くの物を任せよう。

主人の喜びをともに喜んでくれ。』

 

一タラント預かっていた者も進み出て言った。

 

『ご主人様。あなた様は蒔かなかったところから刈り取り、

散らさなかったところからかき集める、厳しい方だと分かっていました。

それで私は怖くなり、出て行って、あなた様の一タラントを地の中に隠しておきました。

ご覧ください。これはあなた様の物です。』

 

しかし、主人は彼に答えた。

 

『悪い、怠け者のしもべだ。

私が蒔かなかったところから刈り取り、

散らさなかったところからかき集めると分かっていたというのか。

 

それなら、おまえは私の金を銀行に預けておくべきだった。

そうすれば、私が帰って来たとき、私の物を利息とともに返してもらえたのに。

 

だから、そのタラントを彼から取り上げて、十タラント持っている者に与えよ。

 

だれでも持っている者は与えられてもっと豊かになり、

持っていない者は持っている物までも取り上げられるのだ。

 

この役に立たないしもべは外の暗闇に追い出せ。

そこで泣いて歯ぎしりするのだ。』」

 

これが、

今回考える預言的な譬(たとえ)です。

 

ここで、幾つかの点をおさえておく必要があるでしょう。

 

・まず、「タラント」が何を表しているのか?

 

・主人は何の目的で旅に出たのか?

 

・良い忠実なしもべが、主人の財産を増やしたとはどういう意味か?

 

・悪い、怠け者のしもべが、主人から預かった物を隠したとはどういう意味か?

 

この譬(たとえ)は、ルカによる福音書19章のミナ(ムナ)の譬(たとえ)とよく似ていますが、趣旨が異なります。

 

興味深いのが、マタイの福音書25章14節に、

 

「天の御国は、旅に出るにあたり、自分のしもべたちを呼んで財産を預ける人のようです。」

(新改訳2017)

 

「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき、しもべたちを呼んで、自分の財産を預けた。」

(新共同訳)

 

「また天国は、ある人が旅に出るとき、そのしもべどもを呼んで、自分の財産を預けるようなものである。」

(口語訳)

 

となっています。

 

この譬(たとえ)の主人は、なぜ、旅に出かけたのか?

という事ですが、

これは、いつから旅に出かけたのか?

かなり謎のある譬(たとえ)です。

 

*イエスが昇天された時でしょうか?

*終末の期間に入る前でしょうか?

*それとも?

 

 

それを知る手がかりは、

タラントを預けられたしもべたちから読み取る事が出来ます。

 

基本的に2種類のしもべに分ける事が出来るでしょう。

 

①良い忠実なしもべ

 

②悪い怠け者のしもべ

 

です。

 

では、「良い忠実なしもべ」がとった行動から考えてみましょう。

 

まず、主人はしもべたちのそれぞれの《能力に応じて》、

タラントを預けています。

 

そして、《五タラント》を預かった しもべたちは、

主人が旅に出かけた後、

《すぐに》、

「五タラント預かった者は出て行って、それで商売をし、

ほかに五タラントをもうけた。

 

同じように、《ニタラント》預かった者も

ほかにニタラントをもうけた。」

(新改訳2017)

 

「五タラントを渡された者は、

《すぐに行って》、、、」

(口語訳)

 

「《早速》、五タラントン預かった者は出て行き、、」

(新共同訳)

 

勿論、ニタラント預かった者も同じように行動したわけです。

 

気付かれたでしょうか?

 

これらのしもべたちは、

主人から財産を預かると、

《ただちに行動》している、という事です。

 

では、ここでいう財産(タラント)は何を表しているのでしょうか?

 

 

その前に、ここで、主人が、

「旅に出るにあたり、、、」

とか、

「旅行に出かけるとき、、」

と訳されているギリシャ語の字義的な意味は、

「外国に旅に出る」

という意味があります。

 

ただの「旅」ではありません。

 

「外国」という事は、それまで、

自分がいた所から、一旦離れて、

別の国外へ行く、という事です。

 

国籍の違うところへ。

或いは、

最初にいたところとは別次元へ。

 

では、ここでいう

「旅に出る」

というのは、何を表しているのでしょうか?

 

まず今回は、最も基本的な解釈で、説明をすすめてゆきたいと思います。

 

 

エスは、

ヨハネ福音書14章2節からを見ると、(新改訳2017)

「わたしの父の家には住む所がたくさんあります。

そうでなかったら、あなたがたのために場所を用意しに行く、

と言ったでしょうか。

わたしが行って、あなたがたに場所を用意したら、

また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。

わたしがいるところに、あなたがたもいるようにするためです。」

と言われました。

 

つまり、「外国」へ旅に出る、というのは、

高次元です。

 

そうなると、主人が旅に出かけられたのは、

西暦一世紀の、イエスの昇天の時、という事になります。

(・今、考えている解釈によるとです。)

 

 

話を戻しますが、

この譬(たとえ)で、《五タラント》を預かった者たち、

そして、《二タラント》を預かった者たち、

更に、《一タラント》を預かった者たちは、

全て、

当時のイエスの弟子たちを表していた、という事です。

 

もっと具体的にいうと、

144000人級を表している、という事です。

 

そして、144000人級を表している、という事は、主人から預かった財産(タラント)を増やす事は、

特に、《終末の期間》に入ってから以降、

顕著な仕方で成就する事になっていました。

 

 

では、ここでいうタラントは何を表しているのでしょうか?

 

「タラント」

《主人の財産》

《主人の関心事》

144000人級が

《霊的に整えられる事》。

 

と考える事が出来ます。

 

なぜ、そのように言えるのでしょうか?

 

マタイによる福音書7章16節から21節

(新共同訳)

には次のように書かれてあります。

 

「あなたがたは、

その《実》で彼らを見分ける。

茨からぶどうが、

あざみからいちじくが採れるだろうか。

すべて良い木は《良い実を結び》、

悪い木は《悪い実を結ぶ》。

《良い木》が悪い実を結ぶことは

《なく》、

また、《悪い木》が良い実を結ぶことも《できない》。

良い実を結ばない木はみな、

切り倒されて火に投げ込まれる。

このように、あなたがたはその《実》で彼らを見分ける。

わたしに向かって、

『主よ、主よ』と言う者が皆、

天の国に入るわけではない。

わたしの《父の御心》を《行う者》だけが入るのである。」

と書かれてある通りです。

 

主人の関心事は

ヤハウェの御心(御旨・ご意志)です。

そして、ヤハウェの御心は、

144000人級が霊的に整えられる事です。

(ぺテロ 二 3章9節 参照)

 

(※ヤハウェの御旨をもっと詳しく知りたい方はこちらから

https://yahweh-ksrg.hatenablog.jp/entry/2022/06/24/121704 )

 

 

そしてこの譬(たとえ)の中でも、

主人が、

「さて、かなり時がたってから」

(新改訳2017)

 

「さて、かなり日がたってから」

(新共同訳)

 

「だいぶ時がたってから」

(口語訳)

とありますが、

ここで、

「かなり」とが「だいぶ」と訳されているギリシャ語は、

「予想以上、思っていたより長い、想定外、など」

 

と言う幅広い意味のギリシャ語が使われているように、

 

※ここでも主人が《遅れる事》を示唆しています。

 

そして、この譬(たとえ)でも、

144000人級の中から、《脱落者》が現れる事を預言的描写で表しています。

 

それも、

今回の譬(たとえ)では、

脱落者は、

「泣きわめいて歯ぎしりする」

と書かれてあるのです。

 

 

では、

一タラント預かった愚かな怠け者はなぜ、脱落してしまうのでしょうか?

これを知っていないと、自分は大丈夫だと錯覚してしまうかも知れません。

 

更に、この譬(たとえ)は、

二重の意味のある預言的な譬(たとえ)です。

 

その解釈によると、主人はいつ、

旅に出かけたことになっているのでしょうか?

 

又、この譬(たとえ)で言う主人が

「旅に」出るとは、更に、どのような特別な意味があるのでしょうか?

 

又、その解釈を考察するにあたり、

実は、旧約聖書のある預言が関連してきます。

 

更に、イエスが語ったある預言とも繋がっています。

 

✍️

ただ、今回言える事として、

皆様は、《主人の関心事》、

つまり、

144000人級が霊的に整えられる事に関して、どれほど関心がおありでしょうか?

 

脱落したら、所詮そこまで?

受け入れるしかないだろう。

と思われるでしょうか?

 

それとも、時間が残されているかぎり、まだ脱落と決まったわけではない。

確かに狭き門で、入ろうと努めながら入れない者が多いかも知れない。

それでも、ヤハウェイエス・キリストに喜んで頂きたい。

悪魔だけは喜ばせたくはない。

「真夜中」の期間に入るまでに、

何としてでも、ヤハウェの望まれる数に貢献したい。

その為にヤハウェイエス・キリストは、

歴史上、最も辛い思いをしてでも、人類の為に救済策を差し伸べられたのだから。

と考えられるでしょうか?

 

 

 

では、

次回は、この預言的な譬(たとえ)の更に、究極の奥義に迫ってまいりましょう。

 

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