【144000人の奥義】(5)「ともし火をともしていなさい」《ともし火をともす とは?油とは?》

今回は、

「ともし火を ともしていなさい」

とはどのような意味なのかを、

出来るだけ具体的に解説できたらと思います。

 

何回も繰り返すかも知れませんが、

「ともし火」は《僕たちが》、

《自分が誰なのかを》、主人に見て頂く為のものでした。

 

では、今回は、

マタイによる福音書 25章からの譬(たとえ)に注目しましょう。

 

*特に注目して頂きたい箇所は、《カッコ》しますので、皆様も、

よく黙想しながら読んでみて下さい。

 

 

「そこで、天の国は次のように

たとえられる。

十人のおとめが《それぞれ》

《ともし火を持って》、

《花婿を迎え》に出て行く。

そのうちの《五人は愚か》で、

《五人は賢かった。》

愚かなおとめたちは、

ともし火は《持っていた》が、

《油の用意》を

《していなかった。》

賢いおとめたちは、

それぞれの《ともし火と一緒》に、

壺に油を入れて《持って》いた。

ところが、花婿の来るのが

《遅れた》ので、

《皆》《眠気》がさして

《眠り込んで》しまった。

《真夜中》に

『花婿だ。迎えに出なさい』

と《叫ぶ声がした。》

そこで、おとめたちは

《皆起きて》、

それぞれの《ともし火を整えた。》

愚かなおとめたちは、

《賢いおとめたちに言った。》

『油を分けてください。わたしたちのともし火は《消えそう》です。』

賢いおとめたちは答えた。

『《分けてあげるほど》ありません。

それより、《店に行って》、

《自分の分》を買って来なさい。』

愚かなおとめたちが

《買いに行っている間》に、

《花婿が到着》して、

《用意の出来ている五人》は、

花婿と一緒に婚宴の席に入り、

《戸が閉められた。》

《その後》で、ほかのおとめたちも来て、

『御主人様、御主人様、開けてください』

と言った。しかし主人は、

『はっきり言っておく。わたしはおまえたちを《知らない》』

と答えた。

《だから、目を覚ましていなさい。》

あなたがたは、その日、その時を

知らないのだから。」

 

これが、今回考える、

預言的な譬(たとえ)です。

 

皆様も今読んでみて、何か感じられたでしょうか?

 

まず、この譬(たとえ)に登場して来る十人のおとめたちは、誰を表しているのか?

という事です。

 

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*ある人はこう考えるかも知れません。

《賢いおとめたち》

144000人級

 

《愚かなおとめたち》

キリスト教界の指導者や信者たち

 

果たしてそうでしょうか?

☆まず、十人共、皆「ともし火」を《持っている》事に注目出来るでしょう。

 

という事は、この譬(たとえ)に登場してくる、

十人のおとめたちは《皆》、

《144000人級》だという事になります。

 

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*ここでいう「ともし火」は、

聖書の《正確な知識に基づいて》、

それを《実践し》、主人に対して、

《自分を霊的に光輝かせる方法》をを《知っている事》を表しています。

 

 

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そして、「油」は、

様々な霊的な備え

(聖書・聖霊・霊的食物)によって、

実際に自分を、

《霊的に光輝かせている状態》

 

(・思いと心が霊的に整えられている状態

・強い動機付けにより、是非、

ヤハウェの御旨を行わせてほしい、という心の状態。

・霊に燃えている状態 

《リンク先の記事を参照》

https://iza2464.hatenablog.com/entry/2022/11/14/180514

 

・頭の中が、聖書の正確な知識で満たされている状態

※つまり、霊的に富んでいる状態

・更に、知識を知恵として、

識別力、洞察力として鋭敏に働かせ、

ヤハウェを喜ばせている状態。)

 

を表している、という事です。

 

当然、主人に対して、自分を霊的に光輝かせているなら、必然的に、

他の仮選別者たち、或いはその他の人々にとっても益になる事でしょう。

何よりも高次元側を喜ばせ、

悪魔側に答えを提出する事が出来ます。

(箴言27章11節 参照)

 

 

 

そして、愚かなおとめたちは、

「ともし火」は持っていましたが、

「油の用意はしていなかった」

と記されています。

 

つまり、

自分を霊的に《光輝かせる方法》を《知っていた》のにも関わらず、

*日頃から、聖書や霊的な食物から益を得ていなかった。

(※この点に関しましては、次回、詳しく解説致します。)

 

*そして自分の思いや心を調整する事を怠っていた。

 

*更に、ヤハウェへの愛や隣人への愛を育む点で、努力が足らなかった、

 

*或いは、ヤハウェに喜んで頂けるような、

新しい人格を、ヤハウェが望まれるところまで培って来なかった。

 

*更に、ヤハウェの御旨を行う為の動機付けを養って来なかった。

 

*もしかしたら、誘惑に屈する連続で、又は、その他の要素からなる試練に屈してしまう事の連続で、聖書でいう《忍耐》を培って来なかったなど。

(ルカによる福音書21章19節 参照)

という事になります。

 

ある者たちは、実践しやすい事は行って、苦手な分野はスルーしていた者たちもいたのかも知れません。

 

この譬(たとえ)で愚かなおとめたちは、

主人の声がした時、

「わたしたちのともし火は

《消えそう》です」

とあるからです。

 

《消えそう》

という事は、

 

*ある程度は、実践していた、

自分にとって行いやすいことは?という事は読み取ることが出来ます。

 

*興味深いのは、十人共《皆》、

「《眠気》がさして

《眠り込んでしまった》」

ということです。

 

🖌️🖌️

では、

*ここでいう「眠気」とは?

 

*「真夜中」とは?

 

*花婿の「叫ぶ声がした」とは?

 

*「それぞれともし火を整えた」とは?

 

*「賢いおとめたちに言った」とは?

 

*「分けてあげるほど」ないとは?

 

*「自分の分、買いに行っている間」とは?

 

*「花婿が到着」とは?

 

*「用意の出来ている」とは?

 

*戸が閉められた「後」とは?

 

*「おまえたちを知らない」とは?

 

これらの解説は次回から、行いたいと思います。

まず、霊的な《眠気》です。

これをじっくり考えたいと思います。

 

今回の記事で、少しでも益を得ることが出来たと思われた方々は、

是非、

ヤハウェに感謝して頂けたらと思います。

 

この機会に、

あらゆる方面からの自己防衛、

並びに、聖書の正確な知識をYouTubeから学びたい方々は、

From KSRGから学んで頂けたらと思います。

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