【144000人の奥義】(6)「霊的な眠気を生じさせる要因」

はじめに、今回の記事をお読みになられる全ての方々へ

 

読者の方々の中で、例えば、記事を読まれた時に、

自分は出来ていない、などと

悲観的になられたり、落胆されたりする事はないと思います。

それぞれ、置かれた境遇も皆違いますので、

もし、何かしら気づきがありましたら、出来る可能な範囲で調整されたらと思います。

 

 

 

では、霊的な眠気を生じさせる要因について考えてみましょう。

 

以前に、目を覚ましているとは、

どういう事かを解説出来たと思いますが、

一つは悪魔の最大級の兵器である

《誘惑》でした。

 

今回は悪魔が用いる誘惑のもっと具体的な例、そして、それ以外の試練を考察してゆき、

霊的な眠気をもよおす要因を考えてみましょう。

 

さて、その前に悪魔は、

144000人級、及び、その他の仮選別者たちに、

誘惑を伴う試練やその他の試練は、ヤハウェから来ている、と思わそうとしています。

ですから、ヤコブの手紙1章12、13節の、

 

「試練を耐え忍ぶ人は幸いです。

その人は適格者と認められ、

神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。

誘惑に遭うとき、

だれも、『神に誘惑されている』と言ってはなりません。

神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、御自分でも人を誘惑したりなさらないからです。」

 

この大原則をおさえておいて下さってから、続く内容をお読み下さい。

 

 

では、早速、

エスが語られた譬(たとえ)に注目してみたいと思いますが、

この譬(たとえ)では、

十人とも《皆》、眠り込んでしまった、となっていますが、

これは、あくまでも、144000人級が、

そうなる《可能性を示唆》しているのであって、

実際にそうなるかどうかは、

その時にならないと分かりません。

また、十人の中で、

五人は《賢く》、

五人は《愚か》、とありますが、

これも、144000人級の

《半分が脱落する事》を預言しているものではありません。

ただ、それくらいの可能性として、イエスは自分自身に注意を払うよう気を引き締めて歩む必要がある事を、

144000人級に対して強調している、という事です。

 

では、今から霊的な眠気をもよおす幾つかの要因を、

エスの語られた別の譬(たとえ)から考察して行きましょう。

 

マタイによる福音書13章3節からを見ると、いくつかのパターンについて書かれてあります。

 

(※この譬(たとえ)は、ある意味奥義です。

そして、この譬(たとえ)は、別の解釈の仕方もありますが、

 

今回は、144000人級に当てはめて考察します。)

 

「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。

蒔いている間に、

ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。

ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。

しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。

ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。

ところが、

ほかの種は、良い土地に落ち、

実を結んで、

あるものは百倍、

あるものは六十倍、

あるものは三十倍にもなった。」

と書かれてあります。

そして、19節からを見ると、この部分の説明に関し、こう書かれてあります。

 

 

「誰でも《御国の言葉》を聞いて

《悟らなければ》、

《悪い者》が来て、《心の中》に蒔かれたものを《奪い取る。》

《道端に蒔かれたもの》とは、こういう人である。

 

《石だらけの所》に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、すぐ喜んで

《受け入れる》が、

自分に《根がない》ので、

《しばらく続いても》、御言葉のために

《艱難や迫害》が起こると、すぐにつまずいてしまう人である。

 

《茨の中に蒔かれたもの》とは、

御言葉を聞くが、

《世の思い煩い》や《富の誘惑》が御言葉を覆いふさいで、

《実らない人》である。

 

《良い土地に蒔かれたもの》とは、

御言葉を聞いて《悟る人》であり、

あるものは百倍、

あるものは六十倍、

あるものは三十倍の《実を結ぶ》のである。」

 

これが、

エスが語られた譬(たとえ)の説明です。

 

ここを見ると、

実を結ばない、3つのパターンが記されていますが、

これを、《霊的な眠気》に当てはめるなら、

どのように適用する事が出来るのでしょうか?

 

🖌️

まず、「道端に蒔かれたもの」から考えてゆきましょう。

これはどのような人の事を表しているのでしょうか?

 

あるキリスト教では、

《全く御言葉に関心のない人》に例えているところもありますが、

果たしてそうなのでしょうか。

 

19節からを見ると、

「誰でも御国の言葉を《聞いて》

悟らなければ、悪い者が来て、

心の中に蒔かれたものを奪い取る。」

と書かれてあります。

 

*聖書に全く関心のない人は、

御国の言葉を《聞く》でしょうか?

 

つまり、これを144000人級に当てはめるなら、

聖書の正確な知識を《うわべ》だけで、

もっと具体的にいうなら、

ただ単に《読むだけ》、

《知るだけ》、

《情報を得るだけ》の人、という事です。

 

このような人は、この譬(たとえ)でいうなら、「悟らな」い人です。

 

✍️

聖書で《悟る》とは?

※知識を知恵として活かせる人。

更に、識別力や洞察力を働かせる事により、

より、ヤハウェを身近に感じ、

ヤハウェへの愛、愛着、感謝、

愛情、忠実、忠誠心、忠節、信仰、信心、信頼、敬虔さ、専心の念、

崇敬の念、敬虔な畏れなどを育み、心から、

ヤハウェに傾倒している状態、

そして、隣人への愛が増し加わった状態、

それゆえヤハウェの御旨を行わせて欲しい、となっている状態です。

 

ですから、どれだけ、霊的な知識を《知った》としても、「悟らな」い人は、霊的に眠っている、と言えるでしょう。

 

又、そのような人は、

「悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取」られてしまうので、

いざ、主人が到着した時、

「ともし火」をともす為の「油」がない人です。

主人が到着する事を知ったとしても、

実際に主人が到着した時、

比喩的な店に油を買いに行っているので、主人を迎える事は出来ません。

(*この点の詳しい解説は、後日行います)

 

ですから、霊的な食物が、

自分の《霊的な命の糧》となるように努力しないなら、という事です。

(ヘブル人への手紙5章12~14節 参照)

 

又、この説明で登場する、

「悪い者」とは誰なのでしょうか?

《悪魔サタン ルシファー》なのでしょうか?

勿論、悪魔も絡んでいるでしょうが、

もっと正確にいうと、悪魔に指図された《悪霊たち》というのが、

今の解釈です。

つまり、わざわざ悪魔が出るまでもなく、

その人の心に一旦蒔かれた種を

「奪い取る」為に、

《何かしらの誘惑》を置いて、

堕落させる、という事です。

一番簡単なのが、いわゆるポルノです。

勿論、その他の誘惑もあるでしょうが。

 

 

🖌️🖌️

では、次の要因を考えてみましょう。

エスは、20節で、

 

「石だらけの所に蒔かれたものとは、御言葉を聞いて、

《すぐ喜んで受け入れる》が、

自分には《根がない》ので、

しばらくは続いても、

《御言葉のために》

《艱難や迫害が起こると》、

すぐにつまずいてしまう人である。」

と書かれてあります。

 

では考えてみましょう。

まず、このような人というのは、

先程の「道端に蒔かれたもの」よりは少しはましかも知れませんが、

結果的に考えるなら同じ、と言えるでしょう。

 

ただ、御言葉の正確な知識に関しては、

「喜んで受け入れるが」

とありますので、

聖書の個人研究は熱心に行っている人、という事は分かります。

しかし、問題は「根がない」という事です。

 

通常、「根」は、植物の茎、枝、葉などを倒れないよう支えるのが、「根」の役割です。

又、全体に栄養を供給する事。

又は災害時に、倒れないよう、

持ちこたえさせ、維持させる為にとても大切な部分と言えるでしょう。

 

では、ここの、

「石だらけの所に蒔かれたもの」とは、どのような人をいうのでしょうか?

 

確かに、御言葉を熱心に研究している事は良い事かも知れませんが、

学んだ正確な知識が、

《心の最も深い部分に到達》していない人。

本人は学んだ知識を喜んで受け入れ、ある程度、

ヤハウェの御旨を行いたい、となっているんですが、

つまり、「しばらくは続いても」

「御言葉のために艱難や迫害が起こると」

「すぐにつまずいてしまう人」

という事です。

では、「御言葉のために艱難や迫害が起こる」とは、どういう意味でしょうか?

 

これには色々な要因が考えられますが、

あまりここで、具体的に提示してしまうと限定されてしまいますので、書ける範囲で説明するなら、

ヤハウェに仕えているがゆえに、

誰かから、

心理的、精神的に、

何かしらの害を加えられる。

嘲笑、誹謗中傷、いじめ、

脅される、追い込まれる、

責められる、圧迫される、

悩まされる、圧倒される、

罵倒される、

無視される、仲間外れ、

特に、今までは、自分の信仰を理解してくれていた、或いは、協力してくれていた身近な誰かから、

 

(*自分はそう思っていただけで、

実際には、その迫害をしてくる身近な誰か、というのは、日頃から、

ヤハウェとの個人的な関係を培ってないわけですから、

悪霊がその時に入れば、

一瞬で別人に豹変する、という事は十分考えられます。)

 

急に豹変され、

執拗な、上記に挙げたような攻撃をされた時はどうでしょうか?

全く予期していなかったら?

という事です。

そうした事などで、苦しみ、悩みが絶えなくなったりすると、

霊的に自分を

《持ちこたえさせる事》が難しくなって、諦めてしまい、

霊的に眠ってしまう人の事です。

ですから、事前に、自分に関してはそう言った弱さはないか?

又は、そう言ったことは起こり得ないか?

自己吟味することが出来るでしょう。

 

 

 

🖌️🖌️🖌️

では、もう一つのパターンを考えてみましょう。

 

「茨の中に蒔かれたもの」です。

 

このような人も、「御言葉を聞く」わけです。

しかし、

「《世の思い煩い》や《富の誘惑》が御言葉をふさいで」とあります。

ここで更に、二つのパターンが記されています。

まずは、「世の思い煩い」です。

 

今後、この悪魔の世も益々悪化の一途をたどり、対処しにくくなってゆく事でしょう。

現実的に、今は、生きて行くだけでも大変な世の中になって来ました。

国内の情勢もかなり厳しくなってきています。

これは、144000人級のある方からお聞きした事ですが、その方の住んでおられる地域は、都心ではありませんが、現在、どこにも就職出来ず、何とか今までの貯えをきりくずして、生活しておられるそうです。

一人で、

毎月の生活費

(・携帯電話・光熱費・食費・消耗品等)3万円以下でやりくりしておられるとの事ですが、

ただ、

イエス・キリストの言われたこの聖句を経験しておられるようです。

マタイによる福音書6章31~34節

 

「だから、

『何を食べようか』

『何を飲もうか』

『何を着ようか』と言って思い悩むな。

それはみな、異邦人が切に求めているものだ。

《あなたがたの天の父》は、

《これらのものがみな》あなたがたに《必要なこと》をご存じである。

何よりもまず、

神の国と神の義》を求めなさい。

そうすれば、

《これらのものはみな加えて与え》られる。

だから、明日のことまで思い悩むな。

明日のことは明日 自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」

 

 

更に、パウロも、

 

ヘブライ人への手紙13章5節からを見ると、

 

「金銭に執着しない生活をし、

《今持っているもの》で《満足》しなさい。神御自身、

『わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにしない』

と言われました。

だから、わたしたちは、はばからずに次のように言うことができます。『主はわたしの助け手。

わたしは恐れない。人はわたしに何ができるだろう。』」

 

更に、詩編107編4~9節にあるように、

 

「彼らは、荒れ野で迷い

砂漠で人の住む町への道を見失った。

飢え、渇き、魂は衰え果てた。

苦難の中から主に助けを求めて叫ぶと

主はまっすぐな道に彼らを導き

人の住む町に向かわせてくださった。

主に感謝せよ。主は慈しみ深く

人の子らに驚くべき御業を成し遂げられる。

主は渇いた魂を飽かせ

飢えた魂を良いもので満たしてくださった。」

 

そして、ダビデが霊感によって、

次のように筆記しています。

 

詩編37編23~25節

 

「主は人の一歩一歩を定め

御旨にかなう道を備えてくださる。

人は倒れても、打ち捨てられるのではない。

主がその手をとらえていてくださる。

若いときにも老いた今も、

わたしは見ていない

主に従う人が捨てられ

子孫がパンを乞うのを。」

 

 

と記されている事を、毎日経験しておられるそうです。

 

 

つまり、

この記事を読んでおられる144000人級の一人びとりは、先程の経験をされている方同様、

これらの聖句のメッセージを、

自分が《一番苦しい時に》、

心から賛同出来るか?

という事です。

 

確かに、困窮していて、ギリギリの生活を強いられている方にとっては、もう限界だ、と感じる事も多々あるかも知れません。

 

しかし、御言葉が心の最も深いところに吸収され、

《霊的に成長》している人は、

それでも、

《立派な実を生み出す人》、という事です。

 

なぜ、そのような思考になれるのでしょうか?

 

✍️

それは、

ヤハウェに全幅の信頼を置いて、ヤハウェを愛して》いるからです。

更に、決して綺麗事ではなく、

《本心から、利他的だからです。》

 

このような精神状態の人は、悪魔からすれば、崩すのはかなり困難です。

 

 

では、もう一つのパターンです。

「富の誘惑」です。

 

「富の誘惑」とはなんでしょうか?

 

文字通りの富、宝、財産、資産、

一般に、物質的に価値ある物、

ある方々にとっては、健康、若さ、その他色々あるかも知れませんが、

それらを得る、又は保つ為に、

何かしら「誘惑」として、降りかかってくるかも知れません。

しかし、もっと掘り下げて考えるなら、

エスは次のように言われました。

 

マタイによる福音書6章21節で、

 

「あなたの《富のあるところ》に、あなたの《心もある》のだ。」

 

要するに、

自分の《心からの関心事》、

それが、ここでいう「富」という事です。

これに関しては、

その人がいつも《何を考え》、

《心が何に傾倒》しているか?

なので、具体例を示す事は控えたいと思います。

ただ、これらが、「誘惑」となって、実を結ぶ事が出来なくなる、というケースです。

これは皆様本人しか分からない事です。

 

 

ただ本心から、つまり、心から、

ヤハウェ

神の国

神の義、

ヤハウェの御旨、

ヤハウェの関心事に、

心が傾倒しているのであれば、何も問題はないかも知れませんが、

それ以外の何かしらに、

心が傾倒しているとすれば、

それが「誘惑」となって、

「御言葉をふさいで」実を結ばなくなる、という事です。

 

皆様の心はいつも何に傾倒しているでしょうか?

それらが「実を結ばな」くなる程のものとして迫ってくれば?

という事です。

 

ここで「誘惑」と訳されているギリシャ語は、様々な意味がありますが、

例えば、

・頭の中を錯乱させて、正しい的から外れさせる事。

・とにかく自分が傾倒している事で頭の中が一杯になり、何も手につかない状態にさせる事。

 

 

我々は頭では、高次元に国籍を移し、ヤハウェの御旨を?

となっているかも知れませんが、

大切なのは、心ではどうか?

という事。

 

エフェソの信徒への手紙4章22~24節には、

 

「だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、

滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、

心の底から新たにされて、

神にかたどって造られた新しい人を身に着け、

真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません。」

 

と書かれてあります。

 

口語訳の24節ではこう訳されています。

「《真の義》と《聖》とをそなえた

神にかたどって造られた

新しき人を着るべきである。」

 

となっています。

 

この節に関しては、口語訳の訳し方が原語に近い訳し方になっています。

 

つまり、新しき人とは、まず、

「真の義と聖とをそなえた」ものでなければならない、という事です。

 

「真の義」とはヤハウェの義の基準です。

 

因みに、一般には、

「聖」とは、

徳が高く、

神のような人、

世の模範と仰がれるような人、

その分野で抜きん出て、優れている人、

その道で卓越した人、

達人、

ローマカトリックでは、いわゆる、セイント(聖人)

聖ぺテロ

ヨハネ

パウロ

などと認識されています。

 

確かに、カトリックなどで崇められているセイント、というのは、少しニュアンスが違いますが、

144000人級は、イエス・キリストに倣っている、という点においては、ある意味、セイント(聖人)です。

 

つまり、《新しき人》というのは、

出来る限り、イエス・キリストを目指して、イエス・キリストを模倣する、という事です。

 

この悪魔の世も、間もなく跡形もなく終わる事でしょう。

しかし、我々は、せっかく、

ヤハウェを知り、ヤハウェが望まれる事を知っています。

更に、悪魔の策略も知らないわけではありません。

 

今回は、全てではありませんが、

霊的な「眠気」をもよおす幾つかの要因を考えました。

 

とにかく、御言葉を聞いて、悟る事。

更に、実を結ぶ者となれるよう、

最後まで、諦めることなく、

永遠の賞与を目指して走り続けましょう。

 

では次回は、マタイによる福音書25章に戻り、この譬(たとえ)の続く部分、

「真夜中に『花婿た。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした」とは?

このテーマで考察してゆきましょう。

 

今は、主人の到着が遅れてから、ある期間に入っています。

今は霊的に眠っている時ではないでしょう。

では、次の記事からも学べる教訓を楽しみにして下さればと思います。

 

 

今回の内容で、少しでも霊的な益を得られた、と思われましたら、是非、ヤハウェに感謝して頂けたらと思います。

 

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