【ヤハウェとイエス・キリストについて知る為の助け《続編》】(1)「異邦人の女の信仰から学べる教訓」&「世界中の144000人級からの報告」
この記事は、
YouTubeチャンネル From KSRG様が、
YouTube上で公開されていたシリーズの続編になります。
今後は、当ブログから、
記事という仕方で、皆様の霊的な益にして頂きたく 更新していきたいと思います。
今回は、
「異邦人の女の信仰から学べる教訓」です。
*「マタイによる福音書 15章21~28節」までが範囲です。
では早速、本論に入ってゆきたいと思います。
🖊️🖊️
時は西暦32年の春ごろと思われますが、イエスと弟子たちは、
ティルスとシドンの地方に向かわれます。
いわゆる、フェニキア地方、
マタイが、この記述を筆記した当時は、この地域はカナンとも呼ばれていたようです。
これは、イエスが弟子たちと共に、イスラエルの境界を越える唯一の旅だったようです。
この事は一行にとっては、予定外の旅でした。
《イスラエルの家の失われた羊たちを集める》ように、と命じられていたからです。
☆では何故、この地に来られたのでしょうか?
*実は、これが今回の教訓の一つでもあります。
最後の教訓でお伝えします。
さて、イエスたちは、滞在する所が見つかると、
自分たちの居所を誰にも知られないようにします。
しかし、イスラエルの領土ではないこの地域においてさえ、
人々の注目を逃れる事は難しいようです。
イスラエル地方においての噂が、度々、伝わってきたからでしょう。
✍️
☆ここで補足情報ですが、
過去に、ユダヤ人のラビたちが、
ギリシャのアレクサンドロス大王に、ダニエル書の預言を見せて、
(ダニエル書8章)
後に、ペルシャ帝国に勝利する事が詳細に預言されている事を示した為、
大王から気に入られた、というのは有名な話です。
そのころから、ギリシャ人のある者たちは、ユダヤ人の事を、ある意味、一目置いていた、という事です。
ただ、ユダヤ人のある者たちも、
ギリシャの哲学や思想、宗教から影響をうけていた者もいたようです。
そして、もしかしたら、ダニエル書やイザヤ書等の写本の一部が売買され、
あるギリシャ人たちの間で読まれていたのかも知れません。
ただ、一世紀当時のユダヤ人たちは、
基本的には、異邦人であるギリシャ人とは交渉は控えていたようです。そのような背景だったという事を補足情報として知っておくと、
今回の教訓から、益を得やすいかも知れません。
さて、この時、
一人の女が、
イエスを見つけ、
「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」!!
とイエスに懇願します。
しかし、イエスはどうされたのでしょうか?
《一言もおこたえにならなかった》のです。
更に、弟子たちが近寄ってきて、
このように言いました。
「この女を追い払ってください。
叫びながらついて来ますので。」
仕方なく、イエスはその女を無視している理由を次のように述べます。
「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか 遣わされていない」
と答えられます。
しかし、女は諦めず、ひれ伏して、
「主よ、どうかお助けください」!!
と嘆願します。
その時イエスは、女の必死の嘆願に心を動かされたようです。
☆繰り返しますが、
本来、イエスは、《ユダヤ人の羊》を さがし出す為に遣わされており、
異邦人の時はまだ来ていませんでした。
*更に、当時の弟子たちからすると、
異邦人はいわゆる、『犬』でした。
しかも相手は女性だったわけです。
それでイエスは、
「子供たちのパンを取って《小犬》にやってはいけない」
と言われました。
*「子供たち」と言うのは、ユダヤ人の事です。
*「小犬」と言うのは、異邦人の事です。
しかし、
弟子たちは不思議に思ったに違いありません。
何故なら、
*まず、イエスの表情が困惑した表情だった事。
そして、この女の嘆願に関して、「犬」ではなく、「小犬」と述べた事です。
*又、イエスの声の調子です。
余りにも、思いやりのこもった優しい感情が にじみ出ていたのでしょう。
*イエスは異邦人の事を「小犬」と呼ぶ事により、異邦人を「犬」に例える表現を和らげたのです。
ですから女は更に、イエスに嘆願しやすくなった、と言う事です。
そして、このように言いました。
「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」
と謙虚に意見を述べます。
イエスはどうされたでしょうか?
「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように」
と言われ、
女の娘から悪霊を追い出されたのです。
この短い記述から、皆様は、イエスについて、何を知る事が出来たでしょうか?
*まず、イエスは、地上に遣わされる時に、
ヤハウェとの約束事として、
「イスラエルの家の失われた羊」
つまり、《ユダヤ人の中》から、
144000人級をさがし出すように、
と言う使命を与えられて、この地上に遣わされて来たわけです。
ですから、異邦人の女の娘を癒やすことは、本来の予定にはなかった事でした。
癒してしまえば、もっと女の信仰を強める事になり、ある意味、
別の厄介な問題が発生したかも知れません。
✍️
*それで、ある人はこう考えるかも知れません。
しかし、よく考えてみて下さい。
ヨナ書を見ると、ヤハウェも、
ニネベを滅ぼす、と言う、
《天における司法上の決定》を変更された事があります。
それも、当時の悔い改めたニネベの人々が生存している期間は、
ニネベに対する刑の執行は行わなかったのです。
*ここで学べる一つの教訓は、
確かに、約束を守る事は大切かも知れません。
しかし、《それよりも重要な事情が生じた場合や、優先させなければならない事が起きた場合など》、
初めはそのように約束していたとしても、
《ためらわずに、予定を変更される事がある》、と言う事です。
(フィリピの信徒への手紙1章10節 参照)
どのような場合でしょうか?
・相手が改心した場合
・憐れみや同情心に動かされた場合
・識別力や洞察力を働かせ、変更した方がよい、と判断された場合
・相手が驚くような信仰を働かせた場合
・回りの者たちに対して、その様にした方がよい、と判断された場合
・愛ゆえに。
(コリント 一 13章1~8節 参照)
*今回の場合は、
まず、女の《強い信仰》です。
*更に、弟子たちが抱いていた偏見を取り除く必要もありました。
いずれ、弟子たちは、
イエスの昇天後、サマリヤ、
そして、地の果てにまで、144000人級を集める、と言う業を行う事になっていました。
(使徒行伝1章8節 参照)
*そして、興味深いのは、イエスのコミュニケーション能力です。
相手を傷つけないだけでなく、
相手が気持ちを吐露しやすいような雰囲気づくりです。
*又、今回の記述から、
イエスが、どれだけ近づきやすい方か?
皆様はどう感じられたでしょうか?
*これもイエス・キリストを着る一面と言えるでしょう。
☆そして、繰り返しますが、今回の一つの要点は、『信仰』です。
よく考えてみて下さい。
*当時この女は、
自分たち(異邦人)は、
ヤハウェの選民ではない、という事は重々承知していました。
しかし、
「自分の娘を何とか助けたい、
いや、なんとしてでも助ける、ここで自分が諦める訳にはいかない。」
という決意、そして信仰です。
*ここから学べる事は、
例えば皆様の中にも、愛するご家族がおられるかも知れません。
今はヤハウェを求めていなかったとしても、
何とか助けたい ご家族がおられる場合、
本人の自由意思も関係していますので、
このままでは、最後のハルマゲドンを生きて通過する事が難しいと感じたとします。
しかし、このように考えるかも知れません。
とりあえず、ハルマゲドンを生きて通過させて頂いて、
新しい地で、
《しっかりと 教育させたいと望む場合》、
その旨を熱烈に、ヤハウェに祈願するなら、
ヤハウェは最も相応しい仕方で、
その祈りに応えて下さることでしょう。
もしかしたら そのようにして下さるかも知れませんし、
或いは、別の仕方で、よい方向へ、物事を動かされるかも知れません。
それを考えると、
今回の記述から、《信仰》と言うものが、どれだけ大切なものか、
お分かり頂けたでしょうか。
(ヘブル人への手紙11章6節 参照)
✍️
☆では、もう少し深く掘り下げて考えてみましょう。
この異邦人の女の述べた言葉から、
女は、次の預言の言葉を知っていたのかも知れません。
🖊️🖊️
イザヤ書55章1~を見ると、
「渇きを覚えている者は皆、水のところに来るがよい。
銀を持たない者も来るがよい。
穀物を求めて、食べよ。
来て、銀を払うことなく穀物を求め 価を払うことなく、ぶどう酒と乳を得よ。
なぜ、糧にならぬもののために銀を量って払い
飢えを満たさぬもののために労するのか。
わたしに聞き従えば 良いものを食べることができる。
あなたたちの魂はその豊かさを楽しむであろう。
耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。
聞き従って、魂に命を得よ。
わたしは あなたたちと とこしえの契約を結ぶ。
ダビデに約束した真実の慈しみのゆえに。
見よ かつてわたしは彼を立てて諸国民への証人とし 諸国民の指導者、
統治者とした。
今、あなたは知らなかった国に呼びかける。
あなたを知らなかった国は あなたのもとに馳せ参じるであろう。」
☆この女は、まさに、この預言の言葉を知っていたかのような行動を取ったとしか考えられません。
*確かに、この預言は、
イエスが地上に遣わされた時に、
成就する預言ではありませんでしたが、
そんな事は、この女にとっては関係なく、
それよりも、自分の周りの人々が信じている神ではなく、
ヤハウェに信仰を働かせたかったのです。
ヤハウェなら?
そうです。
この神に信仰を働かせるなら?
そんな必死の思いで、
イスラエル地方で、メシアについての噂が
自分の住んでいる地域まで届いた時、
「この機会を逃したら、
まず、娘はこれからも悪霊に悩まされるに違いない。」
なにより、この女は、自分なりに、ヤハウェという神をよく理解していたに違いないでしょう。
だから、
イザヤ書を引用して、
↓
『ダビデの子よ』
と呼び掛け、
次の聖句の背後にあるメッセージを読み取ったのです。
↓
「、、銀を払うことなく穀物を求め
、、わたしに従えば 良いものを食べることができる。
、、耳を傾けて聞き、わたしのもとに来るがよい。
、、、今、あなた(メシア)は知らなかった国に呼び掛ける。あなたを知らなかった国は あなたのもとに馳せ参じるであろう。」
更に、6節には、このような言葉も記されています。
「主(ヤハウェ)を求めよ、見いだしうるときに。呼び求めよ、近くにいますうちに。」
それらのメッセージを読み取った女は《遠慮》するどころか、《確信》を込めて、
イエスにこのように嘆願したのです。
↓
「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちる
《パン屑はいただく》のです。」
と、
述べる事により、
イザヤ書のこの預言が、
《いつ成就?》ではなく、
《どのように成就するのか》を、
その《正しいメッセージ》を読み取っていた、
もしかしたら、ヤハウェなら、
その時がまだ来ていなくても、
自分の嘆願を聞き入れて下さる、
という心からの信仰を働かせていたのかも知れません。
*更に、この言葉を発する前に、
イエスの口から、
『小犬』というワードが発せられた事に加えて、
イエスからにじみ出ていたものを
しっかりと掴みとっていた、という事です。
🖊️🖊️
ここから何を学べるでしょうか?
*この女は、いつも手元に、
ヤハウェの御言葉を置いていたわけではありません。
*勿論、当時はまだ、自分はユダヤ人から見れば異邦人なので、
ヤハウェの選民、という自覚はなかったわけです。
*当然、聖霊による助けなど期待出来ません。
*又、正しく解釈して、教えてくれる者もいませんでした。
*周りでは、ヤハウェの御言葉が非とする異教の教えであふれ返っています。
*仮にユダヤ教に改宗していたとしても、
当時のサンヘドリンでは正しい知識を得る事は無理でしょうし、
そのような高額のお金を支払う余裕もなかった事でしょう。
*更に、当時、この女が生活していた地域は、
暴虐と不道徳で有名な地域でしたので、そのような悪影響の中で、
ヤハウェに信仰を働かせるのは尋常ではなかった事でしょう。
《その事に関しては、最後の教訓で、具体的にお伝えします》
☆では、今の我々はというと、
ヤハウェとイエス・キリストについて学ぶ上で、この女の置かれた境遇と比較してみてどうでしょうか。
*確かに、今は特別な時代です。
又対処しにくい苦難の時代かも知れません。
しかし、そのような最中で、
ヤハウェは我々を引き寄せて下さり、
イエスのもとに来る事が出来るようにして下さっているのです。
殆どの人々が、ヤハウェを呼び求めていない中で、
我々は、ヤハウェを喜ばせようと、日々奮闘しているのです。
なんという特権でしょう。
次のアモスの預言が今成就しています。
↓🖊️🖊️
アモス書8章11、12節
「見よ、その日が来ればと主なる神は言われる。
わたしは大地に飢えを送る。
それはパンに飢えることでもなく
水に渇くことでもなく
《主の言葉を聞くことのできぬ飢えと渇きだ。》
人々は海から海へと巡り
北から東へとよろめき歩いて
《主の言葉を探し求める》が
《見いだすことはできない。》」
と書かれてある通りです。
《主の言葉を探し求め》ても、
《見いだすことはできない》のです。
世界で一番多いと言われている
いわゆるキリスト教
↓
《カトリック系》
《プロテスタント系》
《正教会系》
など
では、残念ながら、天の父ヤハウェに近づく事が出来ません。
その他も同様です。
*我々はどうでしょうか?
この類いまれなる特権に、皆様は誰に感謝したいでしょうか?
☆ヤハウェに、賛美と栄光が、
これからも帰されますように。
🖊🖊️🖊️✍️
☆そして、今回最後の教訓です。
何故、イエスたちは、
イスラエル地方の国境を越えて、
敢えて、
このティルスとシドンの地域、
つまり、フェニキアの地域に来たのでしょうか?
皆様は何故だと思われるでしょうか?
*何故なら、
《今日(こんにち)の我々》に対する《メッセージを残したかった》からです。
*つまり、イエスたちは、
ヤハウェに導かれて、
この地域に来られた、という事です。
☆実は、この女は、
フェニキア地域、
ティルスとシドン、
マタイが、この記述を筆記した時は、カナン(昔ながらの呼び名)
と呼ばれていた地域で産まれた女性です。
しかし、《国籍は、ギリシャ》でした。
そうです。
《国籍はギリシャ》なのです。
つまり、ティルスとシドンより、
北西のかなり遠い距離のギリシャから、メシアの噂を聞き付けて、
地元のフェニキアまで帰ってきた、という事です。
そして、マタイが、この記述を筆記してから、約24年後、
ぺテロがマルコに福音書を筆記するよう依頼した時、
ぺテロはこの女性が、
《ギリシャ人》である事を明かしています。
(マルコによる福音書7章26節 参照)
つまり、
西暦65年ごろまでに、ぺテロは、
《この女性についての情報を、何かしらの仕方で聞いていた》、という事です。
当然、癒された当の娘は、
キリストの弟子になっていた事でしょう。
《テサロニケ》
《コリント》
《フィリピ》
のどこかでキリストの弟子に。
当時、エルサレムを拠点として活動していたぺテロに、
誰かが、ぺテロに、この女性の事を伝えた、という事です。
可能性としては、後にぺテロと共に活動する事になる、マルコです。
あの時に、助けられた者だと伝えた、という事です。
*その事を考えると、
異邦人への使徒として、
この地域に、キリストの教えが伝えられた時、
この親子はどれだけ嬉しかった事でしょう。
勿論、当時の144000人級として仮選別されていた、という事はいうまでもありません。
しかし、イエスたちが、
西暦32年ごろに、フェニキアに赴いていなければ、
中々、ユダヤ教の改宗者でもないのに、
女性だけで、当時の、ユダヤ地方に行く事は、
かなり危険で困難だったと言えるでしょう。
🖌️🖌️
☆つまり、ヤハウェは、
将来的に、キリストの弟子になるであろう親子の為に、
わざわざ、イエスたちに、
イスラエルの境界を越えさせて、
フェニキアの地域に来させた、という事です。
何と感動的なんでしょうか。
ヤハウェは、
このようなメッセージを、
終末の期間に生きる我々に伝えて下さっているのです。
*つまり、これがヤハウェの一つの選別の仕方である、という事です。
☆ヤハウェは、誰かを、御自分のもとへ引き寄せたい、と思われたならば、
予定を変更されてでも、
或いは、先を見越して、
又、最も効果的な仕方で、その人を引き寄せる為の
《何かしらの手段》を講じて下さる、という事です。
繰り返しますが、
必要とあらば、ヤハウェは必ず、
御自分のもとに、選別したい人を引き寄せられる事でしょう。
☆ヤハウェはそのような方なのです。
今、ヤハウェに引き寄せられた方々は、
そのようにして 今があるのではないでしょうか。
勿論、今後も。
そして、
御自分のもとへ引き寄せた一人びとりに対しての思い入れは、
我々の想像を遥かに上回るほど深いと言う事です。
*この事は、改心した者に対しても同様です。
(ルカによる福音書15章3~7節 参照)
これが、今回、最後の教訓でした。
皆様は、ヤハウェとイエス・キリストについて何を学ぶ事が出来たでしょうか。
🖊️🖊️🖊️✍️
☆では最後に、世界中の144000人級について、今分かっている事をお伝え出来たら、と思います。
☆この混沌とした世界情勢の最中でも、
(ある意味、日本は一番過ごしやすいかも知れません。)
誰一人、一日でも早く、
大きな苦難に?
とは考えていません。
それどころか、
皆、今どのような思いで、
日々の生活を過ごしているのでしょうか?
↓
将来的に、《不滅》《不朽》の体を与えられ、《御座そのものへ招待》される事を、それに加え、
《後日、詳細にお伝え致しますが、想像を絶する数々の報いが用意されている事》を、
ヤハウェにどれだけ、深く感謝しているでしょうか。
何もヤハウェに お返しなど出来ませんが、せめて、と。
次の聖句に書いてあるような決意を抱いているのです。
↓
ぺテロ 一 5章9節~
「信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい。
あなたがたと信仰を同じくする兄弟たち
(口語訳では・「全世界にいるあなたがたの兄弟たち」)も、
この世で同じ苦しみに遭っているのです。
それはあなたがたも知っているとおりです。
しかし、あらゆる恵みの源である神、
すなわち、キリスト・イエスを通してあなたがたを永遠の栄光へ招いてくだった神御自身が、
しばらくの間苦しんだあなたがたを《完全な者》とし、
《強め、力づけ、揺らぐことがないようにしてくださいます》」
↓
これが、
現代の144000人級として仮選別されている者たちです。
*当然、
《誰一人、既に自分は整えられている》
などと 考えている者はいないでしょう。
そうです。
*《誰一人、そのような余裕などない》はずです。
むしろ、
*皆が競技者のように、
「賞を」獲得するような仕方で、
「朽ちない冠を得るために」、
「自分の体を打ちたた」きながら、「失格者に」になど ならないよう、固い決意を抱きつつ、
日々奮闘し、
ヤハウェを喜はせる為、
悪魔に立ち向かっているのです。
(コリント一9章24~27節、箴言27章11節 参照)
*世界中の、
144000人級として仮選別されている者たちは、
《ヤハウェの期待》にそえるよう、
《待ちの姿勢》などではなく、
一歩一歩、《確実に前進する》為、
「自分の十字架を背負」いながら、
「最後まで」、キリストの足跡に従い続けなければならない、
「入ろうと努めながら、入れない者が多いから!」
と、気のゆるみなど、微塵も感じさせない決意を抱いています。
(マタイ16章24節、マタイ24章13節、ピリピ3章16節、ルカ13章24節 参照)
パウロはこうも述べています。
テモテ 一 6章11~15節で、
↓
「神の人よ、、正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。信仰の戦いを立派に戦い抜き、
永遠の命を手に入れなさい。
《命を得るために》、
《あなたは神から召され》、
多くの証人の前で立派に信仰を表明したのです。
万物に命をお与えになる神の御前で、
そして、ポンティオ・ピラトの面前で立派な宣言によって証しをなさったキリスト・イエスの御前で、
あなたに命じます。
わたしたちの主イエス・キリストが再び来られるときまで、
《おちどなく、非難されないように、この掟を守りなさい。》
神は定められたときにキリストを現してくださいます。」
↓
*今、144000人級は、
悪魔の世がまさに終わろうとしている《最後の瞬間まで》、
《気を引き締めて》、
《霊に燃え》
《悪魔がどのような策略を仕掛けて来ようが、全くひるむ事なく》、
新しき人、つまり、
イエス・キリストを着る事が出来るよう、日々、前へと前進しています。
このような報告を知ると、益々、
霊的に奮い立たされるのではないでしょうか。
☆勿論、日本にいる144000人級の方々も、当然、同じ決意を抱いているに違いありません。
✍️
さて、
当ブログのこの記事を、
初めて、読まれた方々の中には、
ヤハウェに引き寄せられて、
今この記事を読んでいる方もおられるかも知れません。
これは偶然でしょうか?
もし、必然だったとしたら、
次のYouTube動画に共感を覚える事でしょう。
↓
《拡散動画》
「ヤハウェとロゴスの愛の深さ」
(2)
↓
☆皆さん、よく考えてみて下さい。
幾十億という人口の中から、
ヤハウェは、我々を引き寄せて下さった事。
我々はヤハウェに何もお返しなど出来ませんが、
せめて、ヤハウェの御心を行うことにより、ヤハウェを喜ばせることは出来るのです。
箴言27章11節 新改訳
「わが子よ、知恵を得よ。私の心を喜ばせよ。
そうすれば、私をそしる者に、私は言い返すことができるだろう。」
と、
ヤハウェは言って下さっているのです。
今一度、ヤハウェの御心を、個人的に復習される事をおすすめ致します。
↓
https://yahweh-ksrg.hatenablog.jp/entry/2022/06/24/121704
今メッセンジャーを行う事の出来る方々は、
人類史上、一度も経験した事もない、対処しにくい困難な時代に、
ヤハウェから、遣わされている事が、
どれだけ特権か、
もう二度とないこの時を、
力の限り、ヤハウェに用いて頂きましょう。
全てのメッセンジャーの上にヤハウェからの限りない力と保護、祝福が注がれますように。
最後まで読んで下さりありがとう御座いました。
少しでも霊的に益が得られたと思われた方々は、
是非ヤハウェに感謝して頂けたらと思います。