144000人の奥義「補足情報」(16)《ウザが打たれたことから学べる教訓》①

今回はウザ、という人物から教訓を学んでゆきたいと思います。

 

サムエル記 第二 6章1節~7節

(新改訳2017)

ダビデは再びイスラエルの精鋭

三万をことごとく集めた。

ダビデはユダのバアラから神の箱を運び上げようとして、

自分とともにいたすべての兵と一緒に出かけた。

神の箱は、ケルビムの上に座しておられる万軍の主の名でその名を呼ばれている。

彼らは、神の箱を新しい荷車に載せて、

それを丘の上にあるアビナダブの家から移した。

アビナダブの子、ウザとアフヨがその新しい荷車を御した。

それを、丘の上にあるアビナダブの家から神の箱とともに移したとき、アフヨは箱の前を歩いていた。

ダビデイスラエルの全家は、

竪琴、琴、タンバリン、カスタネット、シンバルを鳴らし、

主の前で、すべての杉の木の枝をもって、喜び踊った。

彼らがナコンの打ち場まで来たとき、

ウザは神の箱に手を伸ばして、

それをつかんた。

牛がよろめいたからである。

すると、主の怒りがウザに向かって燃え上がり、

神はその過ちのために、

彼をその場で打たれた。

彼はそこで、神の箱の傍らで死んだ。」

 

という記述です。

 

この記述だけを読むと、

ヤハウェはなぜウザを打たれたのだろう?

となるのではないでしょうか。

 

少し背景から説明したいと思います。

まずこのウザという人物についてですが、

ウザはアビナダブの子で、

レビ人です。

そしてダビデが契約の箱を、

エルサレムに運ばせようとしていたところです。

 

しかし、今回の件では、

このプロジェクトを推し進めようとしたダビデ自身が、まず、誤った行動を取っていました。

 

どのような行動でしょうか?

 

本来、契約の箱は、移動させる場合には、

ケハト人(コハト人・コハテ人)のレビ人が、

ヤハウェの指示通りに、竿を肩に載せて、箱をかつぎながら、運ばなければなりませんでした。

(民数記4章15、19、20節 参照)

 

ただし、ケハト人と言えども、直接契約の箱に触れたなら、それは死を意味することでした。

あくまでも、契約の箱に触れずに竿を肩に載せて担いで運ぶだけです。

 

そのことに関しては、全てのイスラエル人が、

十分に理解していたはずです。

又、いかなる理由があろうとも、

権限のないものが、

契約の箱を触るなら、

死を意味することも知っていたはずです。

では、なぜ今回のようなことが起きてしまったのでしょうか?

 

まず、

ダビデが誤った行動

(契約の箱を荷車で牛に引かせて運ぼうとしたこと)

に出ようとした時に、

レビ人でもあったウザかアフヨが、

ダビデに警告を発するべきでした。

又、契約の箱を荷車に載せて、

牛に運ばせることにはリスクが伴ったはずです。

ですからヤハウェはレビ人のケハト人が担いで運ぶよう指示したわけです。

 

では今回の件で、責任を問われたのは誰でしょうか?

 

記述を読むと、ダビデヤハウェから責任を問われたわけではありません。

なぜでしょうか?

ある意味、認識不足だったと言えるかも知れません。

少しでも早く、契約の箱を、

自分の望んだところ(エルサレム)に運びたい、という動機だったと考えられます。

つまり、動機は悪くなかったわけです。

では、アフヨはどうでしょうか?

レビ人ならば、そのような移動の仕方はまずい、とダビデに警告すべきだったかも知れません。

しかし、周りの空気にのまれてしまい、やむなく、契約の箱の前で誘導することにしたのでしょう。

 

そしてウザです。

 

ウザは契約の箱が運ばれている際、終始、契約の箱のすぐ側にいたと考えられます。

聖書には詳細は記されていませんが、

ヤハウェは心をご覧になられる方です。

ここでウザを打たれたのには理由があったはずです。

まず、ウザがとった行動は、一件、よいことをしたかに思えますが

明らかに「不敬な行為」でした。

 

興味深いことに、

新改訳2017年版のサムエル記 第二 6章7節の、

「すると、主の怒りがウザに向かって燃え上がり、

神はその《*過ちのために》、彼をその場で打たれた。」

とある、ここの

《過ちのために》という部分の脚注を見ると、

別訳

「不敬の罪」とあります。

 

では、まとめると、

ウザは契約の箱のすぐ側にいたということは、何かあった場合、

自分が何とかして、事態を防ごうと思っていたのかも知れません。

そうすれば、もしかしたら、

王から、今より優遇された立場を得ることができるかも知れない、

ある意味英雄になれるかも知れない、

更に、契約の箱を荷車に載せて牛に運ばせるわけですから、

もしかしたら、このような事態を想定していたとも考えられます。

当時の地理を考えれば十分あり得ることでした。

そして、律法には、ケハト人が移動させると書かれてあるが、

ダビデが計画したことだし、

何かあれば、責任はダビデが取るだろう。

最大の誤算は、

契約の箱をひっくり返してはいけない、

その為なら、少しくらい触ってしまっても、ヤハウェは見のがして下さる、

と思っていたのかも知れません。

皆様はどう思われたでしょうか?

 

もし、先程のような動機だったとしたら、

ウザはとんでもない誤解、勘違いをしていたことになります。

 

ウザは自分の都合のよいように、

律法を解釈していたことになります。

 

✍️

ここで大切なのは、

契約の箱が無事、エルサレムまで運ばれるかではなく、

あくまでも、ヤハウェのものさしに従順かとうか?

忠実かどうかです。

 

ここから我々は沢山の教訓を学ぶことが出来ます。

 

皆様はどのような教訓を学ばれたでしょうか?

 

是非、祈りのうちに黙想なさってみて下さい。

ここから学べる教訓は、後日更新出来たらと思います。

 

 

 

聖書の最新の解釈記事が更新されています。

https://yahweh-ksrg.hatenablog.jp/about