「本日の聖書の言葉」⑤《詩編119編97節~ 「どれほど私は あなたのみおしえを 愛していることでしょう」》【前編】

今回も、詩編119編の筆記者の書いた心にしみる言葉から、霊的な糧を得てまいりましょう。

 

詩編119編97~99節

(新改訳2017)

「どれほど私は

あなたのみおしえを

愛していることでしょう。

それはいつも

私の思いとなっています。

あなたの仰せは

私を敵よりも賢くします。

それがとこしえに

私のものだからです。

私には

私のすべての師にまさる賢さがあります。

あなたのさとしが

私の思いだからです。」

 

何という明言でしょうか。

 

この詩編を書いたのはダビデではありませんが、

恐らく、ダビデ以降で、

南のユダ王国と北のイスラエル王国とに分裂後の、

バビロン捕囚前の、

ユダ王国の王の誰か? でしょう。

この詳細については次回の【後編】でお伝え致します。

 

さて、

その当時の情勢を考えてみると、

残忍さで有名なアッシリア帝国

ユダ王国に対しても、かなりの脅威だったに違いありません。

 

 

そのような情勢の中で、

王として、自国民を何とか敵国から保護しなければならない、

という責任がありました。

もしかしたら、自分だけではなく、家族も、部下たち、

又、自分を信頼してくれている国民が、残虐な目に遭うかもしれない、

そのような状況と常に隣り合わせだったわけです。

 

 

一般の人々には恐らく分からないかも知れない重責を感じていたことでしょう。

 

普通なら重責に押し潰されてしまってもおかしくはなかったのです。

 

では、そのような様々な脅威の中でも、正常な思考を維持させ、

その責務を果たしきる事が出来るように、王を助けたものは何だったのでしょうか。

 

この王はこのように述べています。

(新改訳2017)

「どれほど私は

あなたのみおしえを

愛していることでしょう。」

 

まず、この王は、

ヤハウェのみおしえを愛していた、ということです。

これは経験からの確信です。

ただし、御言葉聖書は、

ただ、知っているだけでも、

ある程度、通じているだけでも、

沢山、聖句を知っているだけでも意味はありません。

 

このことは、モーセの時代から行われていたことですが、

正しく解釈する者がまず必要だということ。

そして、正確な知識に基づいて、

学んだ個人が、正しい判断のもとで実践してこそ価値があります。

 

 

(*分かりやすい例としては、聖書の神、天の父は、ヤハウェです。

新共同訳聖書の、用語解説という項目の、「主」

というところには、

旧約聖書中、イスラエルの神は種々の名称で呼ばれており、

そのうち最も多いのがいわゆる

神聖四文字

YHWH(6.500回以上)である。

この語の正確な読み方は分からないが 一般にヤーウェ または、

ヤハウェ(文語訳ではエホバ)と表記されている。」

 

と記載されています。

共同訳聖書実行委員会は、

イスラエルの神は種々の名称で呼ばれており、」

とありますが、これは、

例えば、

①『ある』→『「字義的には なるもの」

これは、全てのものになる、ということで、つまり、

様々な称号を有しておられるという意味で表記されているのであり固有の名前ではありません。』

 

②『エロヒム』→『これはヘブル語で唯一の神、という意味であり、

日本語では、大抵、「神」と訳されていて、これも名前ではありません。』

 

③『アドナイ』→『これは、ヘブル語で「我らの主」という意味であり、これも名前ではありません。』

 

④『ヤハ』→『ヤハウェの短縮形です。』

 

 

⑤『エホバ』→『これは、1800年当時、

流行った英訳聖書の 

Jehovah (ジェホーヴァ)を日本語に訳したもの。

日本聖書協会の文語訳聖書には、

エホバと訳されていました。

 

しかし、この呼び方は明らかに間違っています。

もし、Jehovahが正しいのであれば、

神聖四文字は JHVHであり、

YHWHとはなりません。

 

更に、新共同訳聖書 用語解説には、

「この語の正確な読み方は分からないが、」

と書かれてありますが、

これはただ、共同訳聖書実行委員会としては分からない、ということであり、一般には

ヤハウェで間違いありません。

 

少し説明が長くなりましたが、

ここで言いたいことは、対称となる神の名があやふやである時点で、神を愛することなど出来るでしょうか。

という点です。

ですから、正確な知識がいかに大切かということです。』

これは一例ですが。)

 

 

話を戻しますが、

一般の国民には、

レビ人である祭司団が責任をもって、御言葉の正確な知識を正しく解釈し、伝えなければなりませんでした。

このことは、バビロン捕囚から帰還した後にも行われていました。

例えば、ネヘミヤ記8章7、8節には次のように書かれてあります。

(新改訳2017)

ヨシュア、バニ、シェレベヤ、

ヤミン、アクブ、シェベダイ、

ボディヤ、マアセヤ、ケリタ、

アザルヤ、エホザバデ、ハナン、

ペラヤなどレビ人たちは、

民に律法を《解き明かした》。

その間、民はその場に立っていた。彼らが神のみおしえの書を読み、

《その意味を明快に示したので》、民は読まれたことを

《理解した》。」

 

と書かれてある通りです。

 

 

更に、王は、御言葉を正しく解釈してくれる大祭司以外にも、

常に、ヤハウェから任命された預言者がいました。

では、この王に、御言葉を正しく解釈して、

明快に理解させていた預言者とは誰だったのでしょうか。

 

この王は御言葉をこよなく愛していました。

なぜなら、この王に御言葉の正確な知識を明快に理解させた預言者は、

理解させたことをとにかく《実践》させました。

(*伝承によると、この預言者は、

旧約時代における、イエス・キリストといえるほどの、ヤハウェの僕だったそうです。)

 

では、この預言者とは誰だったのでしょうか?

そしてどのような仕方で、この王を訓育し、成長させたのでしょうか?

今回の記事の内容は、今日の私たちにとってなぜ、有益といえるのでしょうか。

 

又別の観点からも、

今回の内容は、

《今の私たちにとって》、とても

重要な教訓を含んでいます。

王という立場だから、といって、決して他人事ではありません。

 

何故なら、144000人級は、将来、

《とこしえの王》として、三次元物質宇宙のみならず、高次元をも統治しなければならないからです。

 

ヨハネの黙示録22章5節

(新改訳2017)

「もはや夜がない。

神である主(ヤハウェ)が

彼ら(144000人)

を照らされるので、

ともしびの光も太陽の光もいらない。

彼らは世々限りなく王として治める。」

と書かれてある通りです。

 

次回は、この王が誰で、それを訓練した預言者が誰なのかを明らかに致します。

私たちは、この詩編119編を編さんした王からも、

この王を訓練した預言者からも、

最大の模範を学ぶことが出来ます。

 

では次回の【後編】の記事から更に教訓を学んでゆきましょう。

 

 

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