144000人の奥義「補足情報」(10)《マタイによる福音書6章12節の解説》
今回はマタイによる福音書6章12節の解説を行いたいと思います。
まず、新共同訳の12節には、
「わたしたちの負い目を赦してください、
わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。」
更に、口語訳では、
「わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、
わたしたちの負債をもおゆるしください。」
そして、新改訳2017年版では、
「私たちの負い目(*別訳 「罪」)を
お赦しください。
私たちも、私たちに負い目のある人たちを赦します。
(*別訳 「赦しました。」)」
となっています。
では、このプレイヤーが今後、
特に重要と言えるのはなぜでしょうか?
私たちは、毎日のように、
罪を犯し、それをヤハウェに赦して頂いています。
しかし、これらの訳を見ると、
あくまでも、他の人の罪を許した場合です。
もし、未だに、誰かを許せない、
そのような人がいた場合、当然、
ヤハウェからの赦しは期待出来ません。
その事は、
続く15節にこうある通りです。
「しかし、人を赦さないなら、
あなたがたの父もあなたがたの過ちをお赦しになりません。」
(新改訳2017)
とはっきり書かれてあります。
そして、ここで述べられている
ヤハウェに赦しを求める罪というのは、
原則的には、知らず知らずに犯してしまう些細な過ちの事で、
聖書が述べている重大な悪行、
ヤハウェが忌まわしいと思っておられる罪ではありません。
つまり、重大な悪行やヤハウェが忌まわしいと思っておられる罪を、
故意に慣わしにする、
というのは論外です。
ローマの信徒への手紙13章14節に、
「主イエス・キリストを身にまといなさい。
欲望を満足させようとして、
肉に心を用いてはなりません。」
と書かれてある通りです。
興味深いのが、
現代ヘブル語のある聖書によると、
日本語直訳で、
「、、、罪深い欲望を満足させるために、
前もって計画するようであってはなりません。」
と訳す事が出来ます。
ですから、ある事柄を、
ヤハウェが忌まわしいと思っておられる、と分かっているなら、
そのような誘惑となる事柄に関わらない、という事でしょう。
しかし、それが誘惑になる、と分かっているにも関わらず、警戒を怠って誘惑に屈してしまったり、又は、抵抗もせず、簡単に屈してしまうようなら、
悪魔は、わざわざ自分が出るまでもなく、堕天使の中の低級霊に任せておけばいいので、
144000人級の中の忠節な者たちを、攻撃しやすくなるでしょう。
さて、本論に戻りますが、
自分の負い目、負債、罪を赦して頂く、という事は、
私たちは、日ごとに、完全な者へと少しずつですが、引き上げられている、という事です。
(※なぜそのように言えるのか?
については、
【144000人の奥義】シリーズであらためて解説したいと思います。)
という事は、マタイによる福音書6章12節のプレイヤーを
《心を込めて》行い、
イエス・キリストを着る事が出来るよう、日々整えられ、霊的に前進して行かなければ、
先で、「賢いおとめ」級と見て頂く事はどうでしょうか?
という事です。
私たちは、この期間に、
ヤハウェを呼び求めている
《まれな者たち》かも知れません。
しかし、もし、それだけで、満足していたとしたらどうでしょうか?
イエスはこう言われました。
マタイの福音書7章13~21節
(新改訳2017)
「《狭い門》から入りなさい。
滅びに至る門は大きく、
その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。
いのちに至る門は《なんと狭く》、
その道も《なんと細い》ことでしょう。そして、それを見出す者は
《わずかです》。
《偽預言者たち》に《用心》しなさい。
彼らは羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、《内側》は
《貪欲な狼》です。
あなたがたは彼らを《実によって》《見分ける》ことになります。
茨からぶどうが、
あざみからいちじくが採れるでしょうか。
良い木はみな良い実を結び、
悪い木は悪い実を結びます。
良い木が悪い実を結ぶことは
《できず》、
また、悪い木が良い実を結ぶことも《できません》。
《良い実を結ばない木》は
《みな切り倒されて》、火に投げ込まれます。
こうゆうわけで、
あなたがたは彼らを《実によって》《見分けることになるのです》。
わたしに向かって、
『主よ、主よ』と言う者がみな天の御国に入るのではなく、
天におられる《わたしの父》の
《みこころを行う者》が入るのです。」
《みこころを行う者》
と書かれてあります。
自分は、他とは違い、ヤハウェを呼び求めている、だから大丈夫だ、という思い込みをしていたとしたら、今すぐ、
ぺテロの手紙 二 3章9節にある聖句の本質を見抜いて下さい。
まだ、間に合うかも知れません。
(新改訳2017)
「主は、ある人たちが遅れていると思っているように、
約束したことを遅らせているのではなく、
あなたがたに対して忍耐しておられるのです。
だれも滅びることがなく、
すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。」
と書かれてあります。
この聖句は、特に、144000人級に対して述べている聖句です。
ヤハウェを知っている?
ヤハウェに祈っている?
ヤハウェの御名を呼び求めている?
だけで救われるのであれば、それは
本当に「狭い門」でしょうか?
マタイによる福音書7章13~23節は、あらためて、
この「補足情報」シリーズから解説致します。
それで、今回考えたように、
マタイによる福音書6章12節のプレイヤーを《心を込めて行い》、
良い実を結ばない者ではなく、
完全を目指して、次のイエスの言葉から励みを得ましょう。
マタイによる福音書5章46~48節
「自分を愛してくれる人を愛したところで、
あなたがたにどんな報いがあろうか。
徴税人でも、同じことをしているではないか。
自分の兄弟にだけ挨拶したところで、
どんな優れたことをしたことになろうか。
異邦人でさえ、同じことをしているではないか。
だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、
あなたがたも完全な者となりなさい。」
近日中に、
【144000人の奥義】(8)
《主人が遅れている今、私たちに出来る事とは?》
144000人の奥義「補足情報」(11)
《メッセンジャーとは?》
↓
この記事では、あらためて、
メッセンジャーとは?
について、考えてみたいと思います。
メッセンジャーは、聖書の正確な知識を発信しているだけでいいのでしょうか?
聖書でいう「証人」を原語から解釈し、真のメッセンジャーに迫りたいと思います。
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