144000人の奥義「補足情報」(13)【重要記事】《信心とは?》

今回は、あらためて、信心について考察し、より、ヤハウェを身近に感じて頂けたらと思います。

 

まず、日本語で訳されている信心ですが、

 

信心、というと、信仰と同一視されがちですが、全くの別物です。

 

又、単に、神を心から信じ、敬うこと、なのでしょうか?

 

聖書でいう信心には、それ以上の意味があります。

 

例えば、

テモテへの手紙 一 6章6節

 

「もっとも、信心は、満ち足りることを知る者には、大きな利得の道です。」

と書かれてありますが、

この訳だけで理解するのは、かなり無理があります。

 

因みに、新改訳2017年版では、

 

「しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそが、大きな利益を得る道です。」

 

と訳されていて、こちらの訳の方が、意味を掴みやすいと思います。

 

それでも、理解することは難しいでしょう。

もっと具体的に説明するなら、

「聖書でいう信心、敬虔を培っているなら、生きる上で、最低限、

必要なものがあれば、十分です。

又、どのような環境に置かれようが、この悪魔の世では十分です。

いずれ終わるので。

又、この悪魔の世での身体的、

感情的、精神的苦痛は、全て、

自分が成長する為のものであり、

ある意味感謝です。」

 

と、信心、敬虔を培っているなら、

このような精神状態になれる、と言うことです。

 

 

信心については、過去に、

From KSRG様が、YouTubeで解説して下さったと思いますが、

はじめての方の為に、ギリシア語から解説したいと思います。

 

新約聖書で、

「信心」とか、

「敬虔」

と訳されている語は、

ギリシア語の

エウセベイアという語、および、

これに関連した動詞、形容詞、副詞、或いは、その変化形です。

 

字義的には、

「神への崇敬の念、専心」

という意味があります。

 

ある学者はこの語に関して、

「神に対する忠節を伴う最高の専心」

と定義しています。

 

また、この語には、

愛着心や傾倒という意味合いも含まれており、

一言でこうだ、と定義出来るものでもない、という事です。

 

✍️

少しまとめると、

「信心・敬虔」とは

「心から、ヤハウェを敬いたい、

常に、ヤハウェに惹かれている状態、

ヤハウェがいつも身近にいて下さる事に伴う心からの平安や安心感、

一時も離れたくない、

という気持ち、

一途、

 

などの心の状態が、聖書でいう信心です。」

 

そのような精神状態なら、確かに、

 

テモテへの手紙6章6節に書かれてあるように、

 

自分の生き方に関して、それ以外のもの

(物、人、環境、資産、その他)

全ては、ヤハウェに全面的に委ねているので、

ある意味、何も恐いものはない、と言えるかも知れません。

 

パウロはヘブル人への手紙13章5、6節で、次のようにも述べました。

 

(新改訳2017)

「今持っているもので満足しなさい。

主ご自身が

『わたしは決してあなたを見放さず、あなたを見捨てない』

と言われたからです。

ですから、私たちは確信をもって言います。

『主は私の助け手。

私は恐れない。

人が私に何ができるだろうか。』」

 

と書かれてある通りです。

 

つまり、聖書でいう

「信心、敬虔」

を養うなら、

 

パウロが、次に述べた事とも繋がってくるでしょう。

 

ローマ人への手紙14章7、8節

 

(新改訳2017)

「私たちの中でだれ一人、

自分のために生きている人はなく、自分のために死ぬ人もいないからです。

私たちは、生きるとすれば主のために生き、

死ぬとすれば主のために死にます。ですから、

生きるにしても、死ぬにしても、

私たちは主のものです。」

 

この聖句の本質を悟る事が出来るでしょう。

 

そうであれば、イエスが言われた次の言葉とも調和するでしょう。

 

マタイによる福音書16章24節

 

(新共同訳)

「わたしについて来たい者は、

自分を捨て、

自分の十字架を背負って、

わたしに従いなさい。」

 

とある通りです。

 

そして、ヨハネ

 

ヨハネの手紙 第一 5章3節で、

 

「神の命令を守ること、

それが、神を愛することです。

神の命令は重荷とはなりません。」

 

別訳

「重荷ではありません。」

「重荷などあり得ません。」

ある意訳によると、

「重荷なんて考えたこともありません。」

 

と書かれてあることの意味が分かるはずです。

 

ですから、

「信心、敬虔」は、

ヤハウェへの愛を培う上で、なくてはならない特質と言えます。

 

皆様は、ヤハウェを深く知る為の、個人的な時間を、どれだけ取り分けておられるでしょうか。

 

本当に、この悪魔の世に未練がないなら、日常の責任も果たしながら、そのような時間を取り分けることは、出来るはずです。

 

ヤハウェを知る、と言う事に関しては、又、

ヤハウェイエス・キリストについて知る為の助け】《続編》

のシリーズでも、お伝え出来ればと思いますが、

 

皆様も、ヤハウェを知る為の個人的な時間を是非、確保して頂けたらと思います。

 

✍️

1

どのように、心からヤハウェを敬うことが出来るようになれるだろうか?

2

どうすれば、常にヤハウェに惹かれている状態、そのような思考に持ってゆけるだろうか?

3

自分はヤハウェがいつも身近にいて下さることに伴う心からの平安や安心感を抱けているだろうか?

4

自分はヤハウェから一時も離れたくない、そのような一途な感情を抱いているだろうか?

そのような専心を抱いているだろうか?

 

よく、自己分析してみられるのは、いかがでしょうか?

 

この信心、敬虔に関しては、

あらためて、当ブログからも、

記事を更新したいと思いますし、

yahweh-ksrg's blog様の方からも、

関連記事を更新して下さいますので、是非、楽しみにして頂けたらと思います。

 

 

近日中に、

【144000人の奥義】(9)

《別解釈》「主人が旅に出た本当の意味とは?」『ダニエル書12章解説①』

を更新予定です。

 

YouTubeから聖書の正確な知識を学びたい方は、

From KSRG様のYouTubeチャンネルから学べます。

https://youtube.com/@fromksrg8450

 

ブログからは最新記事が、更新されてます。

https://yahweh-ksrg.hatenablog.jp/about