144000人の奥義「補足情報」(6)《脱落者について》
今回は、ローマ人への手紙11章29節の、
「神の賜物と召しとは、変えられることがない。」
(口語訳)
と言う聖句を考察したいと思います。
まず、この聖句だけを見ると、一旦ヤハウェに召された者は、
その「召し」は変わらない。
つまり、144000人級には、脱落者はいない、と解釈してしまう方もおられるかも知れません。
果たしてそうなのでしょうか?
では、別の訳を見てみましょう。
新共同訳では、
↓
「神の賜物と招きとは取り消されないものなのです。」
となっています。
新改訳では、
↓
「神の賜物と召命は、取り消されることがないからです。」
となっています。
この訳に関しては、新共同訳や新改訳の訳し方のほうが原語の意味を伝えているのかも知れませんが、
それでも、まだはっきりとメッセージを伝えているわけではありません。
聖書は一部分で解釈出来るところもありますが、全体が伝える、幾つかのメッセージから読み取る必要がある部分もあります。
例えば、もし、一度ヤハウェから召された場合、それが変えられる事がないのであれば、一世紀に144000人級から背教者が現れたのはなぜか?
と言う疑問が生じてくる事でしょう。
更に、
コリントの信徒への手紙9章24~27節で、パウロははっきりと
このように述べています。
「あなたがたは知らないのですか。競技場で走る者は皆走るけれども、賞を受けるのは一人だけです。
あなたがたも賞を得るように走りなさい。
競技をする人は皆、すべてに節制します。
彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、
わたしたちは、朽ちない冠を得るために節制するのです。
だから、わたしとしては、やみくもに走ったりしないし、空を打つような拳闘もしません。
むしろ、自分の体を打ちたたいて服従させます。
それは、他の人々に宣教しておきながら、
自分の方が失格者になってしまわないためです。」
ヤハウェに144000人級として仮選別された者は、
恵みとして仮選別されたわけなので、
自動的にその時がくれば、
最終的に144000人として印を押されるとすれば、
先程のパウロの言葉との矛盾が生じます。
事実、聖書の中を見ると、
最後まで霊的に走り続けるように、と言う聖句は沢山あります。
では、口語訳の、ローマ人への手紙11章29節はどのように解釈することが出来るのでしょうか?
原語解釈すると、
↓
「神の賜物と招き」
という《取り決め》が、
「取り消されることがない」
と解釈出来ます。
あくまでも、
「神の賜物と招き」
という《取り決め》が、
「取り消されることがない」
という事です。
当然、個人としては、脱落する者、
いわゆる、「失格者」が現れることは、十分考えられるわけです。
ですからパウロは、
一人しか得ることの出来ない冠を得るくらいの努力と節制が求められる、と述べた、と言うことです。
勿論、一人しか賞を受ける事が出来ない、と言う意味ではありませんが、それくらいの努力と節制が求められる、と言う事です。
144000人級全てが、
それくらいの覚悟、決意、努力、
節制をして、最後まで霊的な走路を完走すれば、
もしかしたら、144000人級全てが、誰も失格者になどならず、
最終的に印を押される、と言うこともあり得るかも知れません。
最後に、
近日中に、
【144000人の奥義】(7)
《「真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。」とは?》
を更新予定です。
是非、楽しみにして頂けたらと思います。
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