「ヤハウェのみ旨」から(7)

今回は、ヤハウェのみ旨から、一つの聖句に注目したいと思います。

 

出エジプト記9章16節

 

「しかし、わたしがあなたをながらえさせたのは、

あなたにわたしの力を見させるため、そして、

《わたしの名が全地に宣べ伝え》

られるために ほかならない」

と書かれてありますが、

 

これほど聖書にはっきりと、

ヤハウェの御旨(みむね)が記されているにも関わらず、

 

ユダヤ教は、神の事を、

ヤハウェ」或いは、「ヤーウェ」「ヤーヴェ」と呼ぶのではなく、

「主」という意味の、

「アドーナイ」と呼んでいますし、

 

キリスト教の中で、

父なる神の名を「ヤハウェ」と呼び求めているところが、どこかあるでしょうか?

(新共同訳 用語解説 参照)

 

この御旨(出エジプト記9章16節)が、人類に知らされてから、約3600年以上経ちますが、

我々はまさに聖書の神の名を、

ヤハウェ」と、明確に呼び求めているのです。

その事をヤハウェは、どう感じておられるでしょうか?

 

近い将来、ルカによる福音書19章40節の聖句が成就する事でしょう。

聖書の神の名を呼び求める事をして来なかった事をどう思うでしょうか?

エスが言われた言葉です。

「あなたがたに言うが、もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶであろう」

 

我々人間は、

三次元物資宇宙の唯一の知的生命体です。

その人間が、創造者の名を呼び求めないで、石に叫ばぜてしまってもいいのでしょうか?

 

繰り返しますが、

我々は、

聖書の神の名を「ヤハウェ」と呼び求める事、

又、ヤハウェもその事を願っておられる、という事を考えると、

一人でも多くの方々に気づきがある事を願っています。

 

《神の言葉「聖書」はとこしえに残る》(8)「聖書を理解する上での補足情報」【保存版・ヤハウェの御旨】

https://yahweh-ksrg.hatenablog.jp/entry/2022/06/24/121704