144000人の奥義「補足情報」(4)
今回は、144000人として最終的に印を押して頂く為に、
我々の最大の模範者、
イエス・キリストから学んでゆきたいと思います。
イエスは亡くなられる前夜から、
嘲笑と拷問の連続で、眠る事も許されず、又、
食べる物も、飲み物も与えられる事もなく、
亡くなる数時間前に、十字架に張り付けにされました。
普通だったら、このまま息を引き取るだけです。
しかし、イエスには、まだ成就していない預言が残されていました。
ですから最後の一分、一秒まで、
気を抜く事は出来ませんでした。
悪魔はイエスを誘惑する為に、
隙を狙ってました。
マルコによる福音書15章23節を見ると、
「没薬を混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはお受けにならなかった。」
と記されています。
並行記述の
マタイによる福音書27章34節を見ると、
「苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはなめた
だけで、飲もうとされなかった。」
と記されています。
つまり悪魔は人々を利用して、
苦い没薬を混ぜたぶどう酒を、
イエスに飲ませようとしたわけです。
当時の没薬は、
鎮痛薬、香料、芳香剤などによく用いられていましたが、
神経に影響を与える物質が含まれており、
意識を正常に保つのが難しくなる場合がありました。
ですからイエスは、味見をして、
没薬が入っていると分かったので、飲もうとはされなかった、という事です。
それからイエスは最後の気力を振り絞って、残された預言を成就させてゆくわけです。
いくつかの例を挙げると、まず、
詩編22編1節、
(新共同訳では2節)
の、次の預言的な聖句、
↓
「わたしの神よ、わたしの神よ
なぜわたしをお見捨てになるのか。、、」
この言葉ををまず述べて、最後の事へと、物事を進めていく必要がありました。
↓
マタイによる福音書27章46節
「三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。
『エリ、エリ、レマ、サバクタニ。』これは、『わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか』という意味である。」
この言葉を述べる事により、
預言を成就させただけでなく、
ある兵士は、イエスに同情し、
次のイエスが述べた言葉の通り、
事が運ばれてゆくことになります。
その聖句が、詩編22編15節、
(新共同訳では16節)
↓
「口は渇いて素焼きのかけらとなり、舌は上顎にはり付く。、、、」という聖句のメッセージを、
簡潔に表現して、最後の預言を成就させる為、
↓
「この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、『渇く』
と言われた。
こうして聖書の言葉が実現した。
そこには、酸いぶどう酒を満たした器か置いてあった。
人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。
イエスは、このぶどう酒を受けると、『成し遂げられた』と言い、
頭を垂れて息を引き取られた。」
最後に口に含めたぶどう酒は、
没薬が混ざっていない、新鮮な酸いぶどう酒でした。
*新鮮なぶどう酒を口にする事によって、わずかながら命を保たせる効果があったようです。
☆ここから何を学べるでしょうか?
イエスは決して、早く楽になりたい、などとは考えませんでした。
ヤハウェへの忠誠を示すため、
最後まで生き続ける事により、
☆これこそが、ヤハウェを愛している者の示す、真の生き方 である、
という事を、悪魔側に見せつける事になりました。
この時 悪魔は、イエスに対して、
全くなすすべなく、完全な敗北感を
味わったに違いありません。
イエスは、我々に最大の模範を残して下さったのです。
そして、悪魔に勝利し、
ヤハウェに栄光を帰しました。
ある方々はこう考えるかも知れません。
「完全だったから出来たのでは?」
でもよく考えて欲しいのは、
完全というのは、不完全な人間より、五感や、それ以上の感覚等の能力が100%という事です。
不完全な人間には十分に理解する事は難しいかも知れませんが、
確かに完全な人間は、様々な能力の点で、
不完全な人間より優れているかも知れませんが、
その分、
つまり、不完全な人間より感覚が優れている分、
誘惑や試練に関しては、不完全な人間より敏感で、ともすると、屈しやすい?
と思われないでしょうか?
痛みに関しても、感覚が優れている分、
不完全な人間より、MAXに痛みを感じるのではないでしょうか?
ですから、ヨハネの黙示録20章で、
悪魔に最後に誘惑される人々が、
不完全な人間よりも、感覚において敏感であるゆえに、誘惑に屈してしまう人々の数が、
「海の砂のように多い」と書かれてあるのは、そういう事でもあります。
(だからと言って、完全な人間の方が、誘惑や試練に屈しやすい、という意味ではありません。
ヤハウェへの従順という的が全くぶれてなけば、何の問題もないでしょう。しかし、感覚が敏感な分、間違った考えを抱くなら、ともすると、不完全な人間より、罪ははらみやすい、という事です。)
それを考えると、
イエスは、最後の最後まで、誘惑や試練から逃げずに、
それも、一瞬足りとも気を抜かずに、我々に完全なお手本を残して下さったのです。
☆大きな苦難が近づく中で、
ある方々は、もしかしたら、
ヤハウェに
「もういいのではないでしょうか?」
とプレイヤーをしている方もおられるかも知れません。
勿論、その時を決められるのはヤハウェですが、
今回のイエスのお手本から、何が学べるでしょうか?
各自が、黙想される事をおすすめ致します。
誰の為に、ヤハウェは長く忍耐して下さっているのか?
という事です。
それで、
是非、今一度、YouTubeチャンネル
From KSRG様の
《拡散動画》
「ヤハウェとロゴスの愛の深さ」
(2)
を視聴して下さったらと思います。
↓
【勝利の歌】《成し遂げられた》
↓
12月25日は、
イエス・キリストの誕生日だとして、クリスマスなるものを、
多くのキリスト教が盛大に祝ってますが、
イエスは、ご自分の誕生日を祝うよう、聖書の中で一言も述べていません。
むしろ、ご自分の死を記念として、一年に一回の頻度で、
主の晩餐を、
ヘブライ歴ニサン14日に、祝うよう言われただけです。
何故なら、イエス・キリストの死こそが、
人類を救う唯一の救済法だからです。
まずは、その愛を示して下さった、
一人でも多くの方々か、これらの動画へと導いて下さったら幸いです。
《拡散動画》
「ヤハウェとロゴスの愛の深さ」
(2)
↓