「ヤハウェのみ旨」から(5)

今回はヘブル人への手紙11章6節から少し黙想した事を書いていきたいと思います。

今回は新共同訳から

「信仰がなければ、神(ヤハウェ)に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを、信じていなければならないからです」と書かれてあります。

この聖句を黙想して感じた事は、創造者ヤハウェが存在しておられる事は普通に理解出来ました。

ただ、多くの方々は、この普通の事柄が、まず理解出来ないみたいです。それを考えると、この普通が、決して当たり前ではない、と言う事を、つまり、自分はなんて恵まれているんだろう。この初心を忘れないよう、何事においても感謝を忘れないように気付かされました。

又、「御自分を求める者たちに報いてくださる方であることを」信じるように、と言う事ですが、決して綺麗事ではなく、本来なら、ヤハウェを知る事が出来ただけでも十分なんですが、求めるなら、報いてくださる、と考えた時、今、何をヤハウェに求めるべきなんだろう?ここで少し立ち止まって、ヤハウェに、

「今、私は、あなたに何を求めるのが、相応しいでしょうか?どんなかたちでもいいので、気付かせて下さい」とプレイヤーをしました。

すると、次の聖句が降りてきました。

マタイによる福音書6章33節 新共同訳

「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」と

つまりこの優先順位さえぶれてなければ、生きるも死ぬのもヤハウェ次第、何も悩む事もない、と言う確信が与えられ、肩の荷が降りた感じがしました。

不思議な事に、自分の国籍を天に、その為にすべき事はヤハウェのみ旨を行う事。

今、次の聖句を実感しています。

ヘブライ人への手紙13章5、6節

「金銭に執着しない生活をし、今持っているもので満足しなさい。神御自身、【わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない】と言われました、だから、わたしたちは、はばからずに次のように言うことができます【主はわたしの助け手。わたしは恐れない。人はわたしに何ができるだろう。】」

ヤハウェから愛されていなければ、どんな自己防衛手段を想定したところで、なんの役にもたたないでしょう。

勿論、真の救済策として

5つの事を実践する事は重要ですが、ヤハウェに愛されていないなら、又、自分自身、ヤハウェを愛していないなら、それになんの意味があるでしょうか。愛は無限です。

それが、最近少し分かってきたような気がします。

ヤハウェとイエス キリストの愛を忘れない為にこの動画を今回はおすすめします

https://youtu.be/I-i-xIjokxg

セラフィムやケルビムたちは、144000人が、御座そのものにあげられる事を願って下さっています。

その144000人の一人だと言うたぐいまれなる特権に感謝と畏敬の念を保ち、最後まで、後悔のない生き方が出来るよう力を尽くし、心と思い、又、魂を尽くして、ヤハウェに従って行けたらと考えています。

この記事を読んで下さった皆様も、何かのご縁があったものと思っています。

イザヤ書55章6節に次のように書いてあります。

「あなたがたは主(ヤハウェ)にお会いすることのできるうちに主(ヤハウェ)を尋ねよ。近くおられるうちに呼び求めよ」と書いてある通りです。

この終末の末期、ヤハウェは、御自分を呼び求める者の近くにおられます。

 

是非、一日でも早くヤハウェに近づいて下さい。

間もなく、本当の意味で、ヤハウェは、全ての諸問題を解決して下さるでしょう。

その時まで、決して諦めずに、今こそ忍耐によって、自分の魂を獲得して行きましょう。

ルかによる福音書21章19節