「本日の聖書の言葉」④《詩編144編1節 「主をたたえよ、わたしの岩を わたしの手に闘うすべを 指に戦するすべを教えてくださる方を」》

今回は、詩編144編1節に基づいて、

From KSRGさんのYouTubeチャンネルで公開されている、

イスラエル伝統刃物術 レベル2」

についてお伝えしたいと思います。

 

この技術は、From KSRGさんが、

西の死海のふもとにある小さな村に住むある方から、

個人的に受け継がれたもので、

終末の期間に入るまでは、全く公開されていなかった、ある意味、奥義です。

本来は、レベル7まであるそうですが、実はイエスの弟子たちも、

特に ぺテロとヨハネは修得していたそうです。

 

因みに、

エスを捕縛しようとした、大祭司の身辺警護人 マルコスに対して ぺテロが使った技術はレベル3の技術だったそうです。

 

又、創世記14章で、

アブラム(アブラハム)と

318人の精鋭が使った技術の中にも、

レベル2の技術があったそうです。

 

 

 

ポイントは、いかに相手の命を奪わずに無力化するかです。

エゼキエル書18章4節には、

ヤハウェが命をどのように思っておられるのか、次のように書かれてあります。

 

(新共同訳)

「すべての命はわたしのものである。、、罪を犯した者、その人が死ぬ。」

 

と書かれてある通りです。

 

 

勿論、ハルマゲドンの最終決戦で、ヤハウェによって死刑が確定した場合には、

144000人は、刑執行人として手を下さなければならないでしょう。

 

しかし、それまでは、相手の命を奪わずに無力化する必要があります。

それで、あらためて、

YouTubeチャンネル

From KSRGさんの、

イスラエル伝統刃物術 レベル2」

を研究して下さればと思います。

 

動画では分かりにくい細かなポイントや解説は、後日、当ブログで更新いたします。

 

大きな苦難、そして、ハルマゲドンの最終決戦において、ヤハウェが、

144000人に、どの程度の戦う技を教えてくださるかは、

その時にならないと分かりませんが、

皆が同じレベルの技をもって、

その戦いにのぞむわけではありません。

使える技は、今まで、この現世で、

これまで習得してきた技術に

+アルファされる技術です。

ですから、自己防衛の点でも、

《努力した者》と

《そうではない者》では当然差が出ることでしょう。

 

ガラテヤ人への手紙6章7節には、

次のような法則が書かれてある通りです。

 

(新共同訳)

「思い違いをしてはいけません。

神は、人から侮られることはありません。

人は、自分の蒔いたものを、

また刈り取ることになるのです。」

 

と書かれてあります。

 

更に、ローマ人への手紙2章6節には、

(新改訳2017)

「神は、一人ひとり、

その人の行いに応じて報いられます。」

 

と書かれてある通りです。

 

「その人の《行いに応じて》」

ということです。

 

 

出来る可能な限りの努力を今 行っているなら、

その人に応じた戦術の点でも、

後は、ヤハウェが後ろ楯となって

くださることでしょう。

 

実際にパウロは、

行うことはしっかりと行っていたので、

次のような経験をすることも出来たのです。

テモテへの手紙 第二4章17節

 

(新改訳2017)

「しかし、主は私とともに立ち、

私に力を与えてくださいました。

それは、私を通してみことばが

余すところなく宣べ伝えられ、

すべての国の人々がみことばを

聞くようになるためでした。

こうして私は

《獅子の口から救い出された》のです。」

と書かれてあります。

 

いくら刃物を手にしていたとしても、

獅子、つまりライオンと格闘するなど、

皆様ならどうでしょうか?

伝承によると、

この時、パウロが持っていたのは

短刀です。

パウロはこの時、人間的な考えから格闘したわけではなかったということを、

次のように述べています。

 

コリント人への手紙 第一15章32節で、

(新改訳2017)

「もし私が人間の考えから

エペソで獣と戦ったのなら、

何の得があったでしょう。」

 

パウロは、神の御言葉を宣べ伝える為に、

ヤハウェからのパワーを頂けたというのは当然ですが、

獅子(ライオン)との格闘においても、

ヤハウェからのパワーを頂いて戦ったのです。

ですから、

「もし私が人間の考えからエペソで獣と戦ったのなら

《何の得があったでしょう》。」

 

つまり、ヤハウェの後ろ楯を経験出来なかったことでしょう。

と言いたかったわけです。

ヤハウェから継承されたものに全幅の信頼を置いていたのです。

 

 

皆様はこれから起こるであろう

様々な苦難、

大きな苦難、そしてハルマゲドンです。

不安などない、と言えば嘘になるかも知れません。

しかし、本日の聖書の言葉にあるように、ヤハウェにこれからも信仰を働かせ、ヤハウェに頼ってゆきましょう。

 

詩編144編1節

 

(新改訳2017)

「わが岩なる主が

ほめたたえられますように。

戦いのために私の手を

戦のために私の指を鍛えられる方が。」

 

 

イスラエル伝統刃物術 レベル2」

No.1~5も参考にして頂けたらと思いますが、今回は特に

No.6のURLを貼らせて頂きます。

https://youtu.be/ht4VHw-8ZjU

 

その他、洋の東西を問わず、世界には様々な格闘術がありますが、その殆どが、相手の生命を奪ってしまう技術です。

使える使えない、という観点からではなく、ヤハウェが人間に継承した技だということを忘れないようにして頂けたらと思います。

学んだ通り行うなら、普通を超えた経験をすることになるでしょう。

 

イザヤ書35章3、4節

(新改訳2017)

「弱った手を強め、

よろめく膝をしっかりさせよ。

心騒ぐ者たちに言え。

『強くあれ。

恐れるな。

見よ。あなたがたの神が、

復讐が、

神の報いがやって来る。

神は来て、

あなたがたを救われる。』」

 

最後に、From KSRGさんのYouTubeチャンネルでは、様々な道具の使い方が公開されています。

それもバランスよくです。

確かに、大きな苦難の主流となるものは刃物かも知れませんが、主流があるなら、その他の補う道具もあるということです。

刃物だけにこだわったり、かたよらず、使える、と思うもの、つまり、

道具は使って下さればと思います。

エゼキエル書9章1節

(口語訳)

「町を罰する者たちよ、

おのおの滅ぼす武器をその手に持って近よれ。」

と訳されています。

新改訳2017年版では、

(新改訳2017)

「破壊する武器をそれぞれ手に持った、この都を罰する者たちを連れて来い。」

これらの訳は間違いではありません。

しかし、この訳だけを見ると、

どうしても、個人の好みが優先してしまうかも知れません。

 

新共同訳ではどのように訳されているのでしょうか。

 

(新共同訳)

「この都を罰する者たちよ、

おのおの破壊する道具を手にして近寄れ。」

 

と訳されているのです。

 

「道具」

そもそも、何かを成し遂げようとする時、通常、道具は一つではないでしょう。

いく種類もの役割の異なった道具がないと成し遂げることは不利です。

しかし、ある方々はこう考えるかも知れません。

いく種類もの異なった刃物があれば、と。

ではFrom KSRGさんのYouTubeチャンネルでは、未だに、色々な道具の使い方が公開されているのはなぜなのでしょうか。

このメッセージを読み取って頂けたらと思います。

 

ミカ書6章8節には次のように書かれてあります。

 

(新改訳2017)

「主はあなたに告げられた。

人よ、何が良いことなのか、

主があなたに何を求めておられるのかを。

それは、

ただ公正を行い、

誠実を愛し、

へりくだって、

あなたの神とともに歩むことではないか。」

 

ここに、

「へりくだって、

あなたの神とともに歩むことではないか。」

 

と書かれてありますが、これは、

「物事を自分の主観だけに頼ったり、偏った見方をするのではなく、バランスよく、謙遜に受け入れる」

 

という意味もあります。

 

自己防衛の想定、つまり、

今後の危機管理は皆それぞれだと思いますが、繰り返しますが、今回の記事の趣旨を読み取って下さればと思います。

 

(*この国内において、ライフラインが止まってしまうという緊急事態が起きないうちに、出来ましたら、

書籍版の聖書

可能なら、新改訳2017年版を今のうちに購入されることをおすすめ致します。

更に、当ブログの記事、

yahweh-ksrg's blogさんの記事を、

モバイル機器などのデータだけではなく、コピー用紙に、コピーしたり、或いは、ノートなどにまとめておかれることをおすすめ致します。

パウロは、テモテへの手紙4章13節で、次のように述べました。

「あなたが来るとき、

トロアスでカルポのところに置いてきた外套を持って来てください。

また書物、特に羊皮紙の物を持って来てください。」

と書き送りました。

当時は、パピルス紙に書かれた物よりも、羊皮紙に書かれた物の方が長期に渡って保存することが出来たので、

パウロは、このようなメッセージを聖書に保存させました。

勿論、今のテクノロジーを利用して、聖書や霊的な固い食物を保存することも出来るかも知れませんが、万が一に備えて、ということです。

エスは、このように言われました。

(口語訳)

「だから、あなたがたも

用意をしていなさい。

思いがけない時に人の子が来るからである。」

「用意をしていなさい。」

字義的には、

「用意が出来ていることを主人に対して示す」

という意味があります。

この記事の趣旨を読み取って下さればと思います。)