yahweh-ksrg's blog様から皆様へのお知らせ

親愛なる霊的な兄弟、姉妹たちへ。

 

ヨハネの黙示録14章4節中ほどに、144000人は、

「小羊の行く所へは、どこへでもついて行く」と書かれてあります。

今現在、小羊イエスは何処におられるのでしょうか?

又、どのような仕方で、共にいて下さっているのでしょうか?

 

この点に関する最新の解釈は、

「神の御言葉 聖書はとこしえに残る」シリーズで、先々公開予定だそうです。

とても楽しみです。

さて、

この「どこへでもついて行く」

と言うのは、勿論、物理的に、と言うのではなく、イエスの歩まれた足跡に従う、と言う意味だと思います。

ですから、自分としては、今は特に、福音書を読んで、イエスの足跡を、祈りのうちに黙想するようにしています。

ただ、極端に解釈してしまうといけないので、分からないところは、遠慮なく、

 KSRG様に聞いて学んでいます。

それで、イエスの足跡に従うと言う事ですが、

この点に関しては、

yahweh-ksrg's blog様から、近日中に、その意味を解説した記事を、公開予定だそうですので、その時、記事を読んでみて下さい。

それで、今回は、マタイによる福音書16章24節 新共同訳

「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」

と書かれてあります。

自分を捨てるとは?

自分の十字架とは?

なんなんでしょうか?

この聖句の解釈も近日公開らしいので、楽しみに待ちたいと思います。

 

それで、当ブログから言える事は、何をする時(その中には勿論、重要な決定等も含まれます)でも、

「イエスならどうしただろうか?」

と自問してみるのも、一つの方法かも知れません。

よく黙想してみて下さい。

一応、私は、出来るだけ、その事を意識するようにしています。

 

とは言え、中々、最初は、そのように自問するのは、確かに難しいかも知れません。

実は、yahweh-ksrg's blog様の方から、連載記事として、今後、

ヤハウェとイエス・キリストについて知る為の助け】の続編として、

YouTube上では、お伝えしきれなかった内容満載で、記事を更新して下さるそうです。

その内容として、

ヤハウェを知る、とはどのような意味か?」

「不完全な人間は、どの程度まで、ヤハウェを知る事が出来るのだろうか?」

「神の御子ロゴスは、どのような存在か?」

「イエスの人物像から学べる教訓」

ヤハウェを知る、力、知恵、公正、愛」の点で、等。

現在の記事と同時進行で更新してゆく予定らしいので、許可を得て、この記事で発表させて頂きます。

本来なら、yahweh-ksrg's blog様の方から、予告記事でお知らせしたかったみたいなのですが、それをすると妨害が入り、公開出来なくなってしまう場合もある、との事で、殆ど認知されていない、この場でお知らせさせて頂きました。

本当に楽しみです。

さて、

我々は、キリストを目指して、霊的に、日々、成長してゆく必要がありますが、どうすれば、霊的にぶれてしまわないよう、助けられるのでしょうか?

やはり、この点でもプレイヤーが最も大切なのではないでしょうか?

 

☆今からの内容は、プレイヤーについてですが、プレイヤーを行ったからには、自分自身も、そのプレイヤーに伴った可能な限りの努力、そして実践する事が大切です。

まず、この事を押さえて下さった上で、下記の内容をお読み下さい。

例えば、

ある方は次のように祈るかも知れません。

 

「自分の心の奥深いところを精錬して下さい」、と。

しかし、その様に祈ったとしても、本当に、自分が、そのような願いを込めて祈ってないなら、そのようなプレイヤーは聴かれるのでしょうか?

 

詩編62編8節 新改訳 

新共同約では、9節

 

「民よ、どんな時にも神(ヤハウェ)に信頼せよ。あなた方の心を 神の御前に注ぎ出せ、、、」

と書かれてあります。

 

ヤハウェの御前に、心を注ぎ出せ、と。

つまり、心が込められていない、ただの形だけの祈りが、果たして聴かれるのだろうか?

という事です。

 

本当は、「心の深いところを精錬して欲しい」

とは思ってもないのに、形だけ、そのように祈っても、聴かれない、と言う事ではないでしょうか。

 

この点をKSRG様にお聞きしたところ、

心を注ぎ出す、とは?

感情や気持ちを込める、あるいは、出しきる、それも本心で。

もし、気持ち的にそうしたくなくても、その様に願う、何故なら、その様に願うなら、ヤハウェに喜んで頂けるから、と言う心の状態になっているかどうか。

 

更には、洞察力を働かせ、先々の自分の霊的な成長をも見越して、その様に希望する、勿論、これも、動機は、ヤハウェに喜んで頂きたい、と言う気持ちがベースとなっていないと、と言う事です。

 

ですから、これも一例ですが、

「大きな苦難が、一日でも早く来て欲しい」

と祈ったとしても、その動機はなんでしょうか?

もしかしたら、

.もうこれ以上、忍耐出来ない。

 

.あるいは、これ以上、馬鹿にされたくない、自分のプライドがズタズタで、本心は耐えられない、他の人に対して、しめしがつかない。

 

.或いは、自分はもうこれ以上、とがめられるものは何もない、十分出来ているから。(過剰な自己過信)

 

.或いは、ヤハウェから見て、忌むべき習慣を断ち切るよう努力はしているが、もうこれ以上は限界だから。

 

これらはほんの一例ですが、

もしこれらに該当する、なにかしらの理由で、

「大きな苦難が一日でも、早く来て欲しい」と思っていたとしたら、

そのようなプレイヤーは、ヤハウェに聴かれるでしょうか。

 

ヨハネの手紙 第一 5章14節 前半には、

「何事でも神の御心に敵うことをわたしたちが願うなら、神は聞き入れてくださる、、、」

と書かれてあるように、

先程のような思考だったとしたら、それは果たして、神の御心に敵っている、と言えるでしょうか。

 

普通にご理解して頂けると思います。

 

繰返しますが、プレイヤーは、心のこもったもの、心を注ぎ出したもの、つまり、感情や気持ちを強く込めて行わないと、ヤハウェは聞いては下さらない、と言う事。

それも本心から。

更には、本来は、中々、本心からそのように思えなくても、ヤハウェに喜んで頂きたいゆえに、或いは、自分自身の霊的な成長の為に、矯正、戒め、精錬を心から受け入れる、これも、ある意味、プレイヤーの奥義だと、KSRG様が言っておられました。

間もなく、悪魔の世が過ぎ去ろうとしています。

今は、霊的に眠っていたり、ぶれている時ではありません。

このブログを読んで下さって、気づきがあられた方は、一日でも早く、ヤハウェに近づいて下さい。

 

☆確かに、5つの事は真の救済策です。

しかしどうでしょうか?

 

☆5つの事の中で、最も重要なのは、

高次元とのコミュニケーションです。

西暦70年のユダヤの体制の滅びの時、ローマ軍が攻めてくる一時間前に、気づきがあった人は、刃物一本だけ持参して、ペレアの山に逃げて助かった人もいました。

その事をよく思い巡らし、ヤハウェに、熱烈にプレイヤーをしてみたら、インスピレーションが降りて来ました。

現代に置いても、最悪、備蓄や武装が十分ではなくても、結局は、

自分が、ヤハウェに仮選別されているかどうかが大切なのであって、どれだけ備蓄や武装に力を入れたところが、肝心のヤハウェに、自分が、仮選別されていなければ、高次元側のバックアップは当然、期待出来ません。

では、

もし、今、なにかしらの事で、ヤハウェのみ旨、み心、ご意志と言う的からぶれて、極端になっていたとしたら、どのような行動に走るでしょうか。

完全セキュリティ

セキュリティ、セキュリティ、

頭からセキュリティが離れない。

 

完全備蓄

備蓄、備蓄、備蓄、どこまでやっても、今の備蓄に納得出来ない。

 

完全武装

武装武装武装

と、なってないでしょうか?

一体、どれだけ武器を装備すれば、納得出来るのでしょうか?

 

高次元とのコミュニケーション以外は、

「ある程度、出来る範囲」、

だという事を忘れるべきではないでしょう。

 

何回も書きますが、大切なのは、高次元とのコミュニケーションです。

今一度、初心にかえり、本心から、自分の思考が、ヤハウェの見地からぶれていないか?

よく祈ってみられるのは、いかがでしょうか。

 

今回の内容は、決して、他の人を批判するものではございません。

実は、これらの極端な例は、自分の失敗例です。

どこまで実践しても納得出来ず、完全にバランスが崩れ、極端に走っていた時に、ヤハウェが気付かせて下さいました。

ですから、恥ずかしながらも、このような失敗例を記載させて頂きました。

自分のようになってほしくないからです。

ですから、5つの事 

この救済策は、

備蓄に関しては、出来る範囲。

武装に関しては、ある程度。

出来る範囲の備え、努力、実践さえしていれば、余計な心配は勿論ですが、出来るだけ、生活上の思い煩い等は、ヤハウェに委ねてみられるのはいかがでしょうか。

次のヤハウェの力強い御言葉を信頼して下さい。

この言葉は、大きな苦難のみならず、この終末の期間に、既に成就していると、ヤハウェは言われました。

 

詩編91編

 

いと高き神のもとに身を寄せて隠れ 全能の神の陰に宿る人よ

 主(ヤハウェ)に申し上げよ

 

「わたしの避けどころ、砦 わたしの神、依り頼む方」と。

神はあなたを救い出してくださる 

仕掛けられた罠から、陥れる言葉から。

神は羽をもってあなたを覆い 

翼の下にかばってくださる。

神のまことは大盾、小盾。

夜、脅かすものをも 

昼、飛んで来る矢をも、恐れることはない。

暗黒の中を行く疫病も 

真昼に襲う病魔も 

あなたの傍らに一千の人 

あなたの右に一万の人が倒れる時すら 

あなたを襲うことはない。

あなたの目が、それを眺めるのみ。

神に逆らう者の受ける報いを見ているのみ。

あなたは主(ヤハウェ)を避けどころとし

いと高き神を宿るところとした。

あなたには災難もふりかかることがなく

天幕には疫病も触れることがない。

主(ヤハウェ)はあなたのために、御使いに命じて

あなたの道のどこにおいても守らせてくださる。

彼らはあなたをその手にのせて運び

足が石に当たらないように守る。

あなたは獅子と毒蛇を踏みにじり

獅子の子と大蛇を踏んで行く。

「彼はわたしを慕う者だから

彼を災いから逃れさせよう。

わたしの名を知る者だから、彼を高く上げよう。

彼がわたしを呼び求めるとき、彼に答え

苦難の襲うとき、彼と共にいて助け

彼に名誉を与えよう。

生涯、彼を満ち足らせ

わたしの救いを彼に見せよう。」

 

と書かれてある、この言葉が、今、既に成就し、大きな苦難、ハルマゲドンへと、更に、その先へと成就して行くのです。

何と幸いなのでしょう。

ですから、今こそ、本心からヤハウェを呼び求めて下さい。

今こそ、過去の私のように、霊的にぶれている時ではありません。

今後は、もっと、その様にしていかなければならないでしょう。

 

この記事の内容が、少しでも、144000人級、更に、全ての仮選別者の益になって下されば幸いです。

 

最後まで、記事を読んで下さり、ありがとう御座いました。